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平凡な女
へいぼんなおんな
作品ID56044
著者林 芙美子
文字遣い新字新仮名
底本 「林芙美子随筆集」 岩波文庫、岩波書店
2003(平成15年)2月14日
入力者岡本美咲
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-07-14 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 奥様同士が子供を連れての立話に、
「まア! お久しうございます。皆様おかわりもなくていらっしゃいますか、一番お末の方、もう、こんなにおなりでございますの?」
「ええもう八ツになりまして、一年生でございますのよ」
「あらまア、そうですか、ほんとに早いもので、宅のがもうあなた尋常四年生でございますものね」
 以前の私が、道の行きずりにこんな話を聞いたならば、子供が八ツになって小学校へ行くのはあたりまえの事で、女同士の話題の狭さにぷりぷり腹をたてていたかも知れない。だが、このごろは途上でそんな立話を小耳にしても腹が立つどころか、日向でぬくぬくとしているような心温かなものを感じるし、女らしくていいものだと考えるようになって来た。一年々々と生活の垢が浸みついて来たのだろう。その垢のついたことをめでたく思い、さきのような会話にも「なごやかさ」「愉しさ」を感じるとすれば、私は市井の平凡なものに民衆の大根を感じているのだろう。
 ある知識婦人が二、三人寄っての座談の記事をこのごろ読んだことがある。全く虫酢のはしるような会話ばかりであった。その女のなかのある一人は、朝夕の飯の支度の煩わしさに、弁当屋から弁当を入れさせてみたが、カロリーが足りないので止めたとか、またある一人は、小説を書く為に良人と別居生活をしているとか、足袋のつくろいや洗濯仕事は、一生苦学しているようでつまらないとか、まるで井戸端会議式なことが論じられていたが、これが知識婦人であるだけに寒々としたものを感じる。
 そのようなひとたちの良人になるひとこそさいなんだと考える。人参や大根を刻むことが道楽だといって片づけられているが、こんな荒っぽい女性に私たちはどんなキタイをかけたらいいのだろう。
 十人十色かもしれないが、私は家族の飯ごしらえもして、洗濯から掃除もたいてい自分でやっている。少しもわずらわしいとは思わない。といって別に愉しいとも道楽とも考えないが、何も台所や洗濯を忘れることが女の栄誉とも考えていない。外出する時は後にのこっている家族たちのたべものまで云って出て行く、安心して外出が出来る。足袋のつくろいも日向ぼっこしながら、一足ずつやっておく、別に愉しい仕事とは思わないが机の前につくねんとしているよりはいい。健康的で空想はほしいままだ。非常にむつかしい言葉で色々と女の生活が論議されていたが、早いこといえば、自分の仕事のために女の生活が煩わしいというのである。どの世界にでも、いっそ口髭をつけて歩いておればよいようなむつかし気な女性が一人二人はあるものだ。
 私は、市井ありふれたお神さんが子供を四、五人も抱えてあくせくしているのを、昔は気の毒だと思ったこともあったが、そのお神さんたちは案外幸福気なのだろうと考える。朝夕、子供が着物を汚して来ることに不服をいいながら、三百六十五日洗濯ばかりしている。それでいい…

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