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牢獄の花嫁
ろうごくのはなよめ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「牢獄の花嫁」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年6月11日第1刷
初出「キング」大日本雄辯會講談社、1931(昭和6)年1月~12月
入力者川山隆
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2017-01-03 / 2016-12-09
長さの目安約 334 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

幸福人

 あの座敷に寝ころんで見たら、房総の海も江戸の町も、一望であろうと思われる高輪の鶉坂に、久しくかかっていた疑問の建築が、やっと、この秋になって、九分九厘まで竣工た。
 お茶屋でもなし、寺でもなし、下屋敷という造りでもない。一体、どんな大家族が住むのであろうと、下町では、話題になっていたが、さていよいよ、引っ越しの当日、ここへ移って来たものは、痩躯鶴にも似たる老人が、たッた一人。
 尤も、召使いは、四、五人ほど来たらしいけれど、荷物と言っては、古びた書箱と机と、いと貧しい世帯道具が一車、ガタクラと、その宏壮なる新屋敷へはいったのみである。
 孤独な、老い先のない身で、こんな大きな建築をやって、彼は一体、何が満足なのだろう。単なる、普請狂とも思われない。
 彼は毎日、家のまわりを、ひとりで逍遥して、独りでニヤニヤしていた。そういう時の彼の笑い顔は、実に柔和で、明るいかがやきが溢れている。人の性格や境遇が、その時々に依って、ありのままに人相にあらわれるものならば、彼は現在、よほど幸福であるにちがいなかった。

やがて嫁

「おう! これや初客じゃ! 富武五百之進殿が、初客にござったとはかたじけない。――なに、花世さんもご一緒か、これはいよいようれしい」
「これ花世、何が恥しい、こちらへ参って、ご挨拶を申さぬか。――どうも、いつまでも、子供で困る」
「なに、子供どころか、貴公よりは、背丈が高い。それに、しばらく見うけぬうちに、たいそう美人になったのう、あはははは。……何せい、よく訪ねてくれた。――ま、早速だが、見てくれい、わしの建てたこの家を」
 人恋しいのであろう、意外な訪問者を迎えて、老人のよろこびかたは非常なものであった。
「……ほう、部屋数が二十七もあっては、たいへんだな。どうじゃ花世、広いものではないか、ウム……眺望もすばらしい」
 富武五百之進とは、誰も知る、番町の旗本、四十四、五の年配で、見るからに、几帳面そうな人物。
 いわゆる、御番衆というと、いったいに、風儀の悪い方だが、江戸城でも、書院詰のものだけは、悪風に染まず、品行が正しいといわれている。
 わけても、五百之進などは、その代表的な人物で、学才もあり、思想も健全で、私行上にも役目にも、かつて曲がったことがない。剛直、竹の節のような性格だった。
 ――に、ひきかえて、娘の花世は、女性的な上にも女性的な、嫋やかな、可憐な、松の根に咲いた山桔梗にもたとえたいほどに――潔く、ういういしい。
 いい父娘だ。
 誰も、この父と、この娘の、正しさ、優しさが、上品な愛を醸しているのをながめて、褒めぬものはない。
 鶉坂の老人は、五百之進とは、刎頸の交際があった。そして、わが子郁次郎の許嫁である花世を、ほんとの子みたいに可愛がッていた。
 一巡すると、老人はまた、わら草履をはいて、
「さ、こんどは、わ…

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