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平の将門
たいらのまさかど
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「平の将門」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年5月15日
初出「小説公園」六興出版社、1950(昭和25)年新春号~1952(昭和27)年2月号
入力者川山隆
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2014-05-15 / 2014-09-16
長さの目安約 474 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

御子と女奴

 原始のすがたから、徐々に、人間のすむ大地へ。
 坂東平野は、いま、大きく、移りかけていた。
 ――ために、太古からの自然も、ようやく、あちこち、痍だらけになり、まぬがれぬ脱皮を、苦悶するように、この大平原を遠く繞る、富士も浅間も那須ヶ岳も、硫黄色の煙を常に噴いていた。
 たとえば、茲にある一個の人間の子、相馬の小次郎なども、そうした“地の顔”と“天の気”とを一塊の肉に宿して生れ出たような童だった。
 年は、ことし十四ぐらい。
 かた肥りの、猪肉で、野葡萄のような瞳をもち、頬はてかてか赤く、髪はいつも、玉蜀黍の毛みたいに、結び放しときまっていた。全身、どこともなく、陽なた臭いような、土臭いような、一種の精気を分泌している。
 だが、今年になってから、その童臭も、黒い瞳も、どこか、ぼやっと、溌剌を欠いていた。痴呆性にすらそれが見えるほど、ぼやけていた。
 父の死後。家に飼っている女奴(奴婢)の蝦夷萩と、急に親しくなって、先頃も、昼間、柵の馬糧倉の中へ、ふたりきりで隠れこんでいたのを、意地のわるい叔父の郎党に見つけられ、
「御子が、蝦夷の娘と、馬糧倉の中で、昼間から、歌垣のように、交くわりしておられた。――相手もあろうによ、女奴と」
 と、一大事のように、吹聴された事件があった。どうしてか、後見の叔父たちは、小次郎には、何もいわなかったが、女奴の蝦夷萩は、きびしい仕置にあい、大勢のまえで、鞭で三十も四十も打ちすえられた。
 それきり、女奴の蝦夷萩は、小次郎のまえに、一度も、姿を見せなくなった。小次郎もまた、以後はよけいに、家に在る大叔父や小い叔父に対して、気うとい風を示して近づかなかったし、大勢の家人や奴婢たちにも、なんとなく、顔を見られるような卑屈を抱いているのだろう。この頃は、ほとんど、屋敷の曲輪うちには、いなかった。ひまさえあれば、その住居から一里半も離れている――この“大結ノ牧”へ来て、馬と遊んでいるか、さもなければ、丘の一つの上に坐りこんで、ぼやっと、行く雲を、見ているのだった。
 ここの牧は、坂東平野のうちでも、最も大きな、広い牧場だと、いってよい。
 わが家には、こんな牧が、所領の内に、四ヵ所もある。
 馬は、土地につぐ財産だ。都へ曳いて行けば、争って人は求めたがるし、地方でも、良馬は、いつでも砂金とひき換えができる。
 その馬が、わが家には、こんなにもいるのだ。
 下総、上総、常陸、下野、武蔵――と見わたしても、これほどな馬数と、また、豊かな墾田と、さらに、まだまだ無限な開拓をまつ広大な処女地とを、領有している豪族といっては、そうたくさんは、あるものじゃない。
「――いいか、おまえは、その跡目をつぐ、総領息子であるのだぞ」
 と、死んだ父の良持が、生前、よくいっていたことばを、相馬の小次郎は、ここへ来ると思い出した。牧の丘に、坐りこ…

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