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礫心中
つぶてしんじゅう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「野村胡堂伝奇幻想小説集成」 作品社
2009(平成21)年6月30日
初出「富士」1935(昭和10)年12月
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2015-09-15 / 2015-08-21
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

橋の袂に美女の裸身

 しはんほになすはかはすなにほんはし
「吝嗇漢に茄子は買は(わ)すな日本橋――か、ハッハッハッハ、こいつは面白い、逆さに読んでも同じだ、落首もこれ位になると点に入るよ」
「穿ってるぜ、畜生め、まったく御改革の今日びじゃ、五十五貫の初鰹どころか、一口一分の初茄子せえ、江戸ッ子の口にゃ入えらねえ、何んのことはねえ、八百八町、吝嗇漢のお揃いとけつからア、オロシヤの珍毛唐が風の便りに聞いて笑って居るとよ、ヘッヘッヘッヘッ」
 場所もあろうに、公方様は膝元の江戸日本橋、
「一、忠孝を励むべき事……」
 と天下の掟を掲げた高札の真ん中に何者の仕業ぞ、貼付けた一枚の鼻紙、墨黒々と書かれたのは、この皮肉な落首でした。
 さしも大江戸の繁華も、昨年(天保十二年)以来、老中水野越前守の改革に火の消えたような有様ですが、さすがは物見高い江戸っ子、茶気と弥次気分は、此期に及んで衰えた風もなく、落首を貼った高札の前は、押すな押すなの騒ぎ、その十七文字を、上から読んだり、下から読んだり、ドッ、ドッと笑い崩れ乍ら、胸一杯に痞えた溜飲を下げて居るのでした。
「そら鬼だ」
「甲斐守様出役だ」
 群衆雪崩を打って立ち分れると、その間を縫って、南町奉行鳥居甲斐守忠燿、手附の与力、配下の岡っ引共を従えて立ち現われました。
「一人も動くな」
 鷲のような眼玉に睨まれて、散り残った一団の人数、逃げも隠れもならず、首をすくめ、顔色を失って、ただおろおろと立ち縮むばかりです。
 町奉行自身、江戸の街を見廻るというのは、何年にも無い珍らしい事ですが、御改革の徹底を、面目にかけて期して居た鳥居甲斐守は、時には微行で、時には大びらに、江戸の町々を巡って、その冷酷無残な眼を光らせたのでした。
「御公儀御政道を誹謗する不届者は言う迄もない、聊かたりとも御趣意に背く奴等は用捨はならぬぞ、片っ端から搦め捕ってしまえ」
 鋼鉄のような冷たい宣言と共に、岡っ引共の手にキラリと光る銀磨の十手、群衆はもう生きた心地もありません。
「絹物を着て居る奴はないか、天鵞絨の鼻緒、唐皮の煙草入――そんな御禁制のものは無いか」
 虎の威を借る下役どもは、逃げもならずに顫える男女を、一人一人小突き廻しては取調べるのでした。
 結い立ての髪を解かせて、自分で結ったか何うか、群衆の前で試される女、――天鵞絨の鼻緒を切取られて、竹の皮ですげ替えさせられた上、親を呼出して手錠をはめられる小娘、――中には贅沢な紙入を発見されて、縄付にて、引立てられる若い男もあります。
 鳥居甲斐守の眼は、この凄まじい詮索に陶酔して、血に渇いた悪獣のように、キラリキラリと燃えました。禁制品を一つ見付ける毎に、頬の肉を引き曲げるような苦笑いが、橋の袖に吹寄せられた町人共を、吹き溜りの紙っ切れのように顫えさせたのです。
「これッ」
 甲斐守は下役を顎…

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