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赤膏薬
あかこうやく
作品ID56255
著者岡本 綺堂
文字遣い新字旧仮名
底本 「三浦老人昔話 ――岡本綺堂読物集一」 中公文庫、中央公論新社
2012(平成24)年6月25日
初出「オール讀物」1931(昭和6)年10月号
入力者江村秀之
校正者山本弘子
公開 / 更新2018-03-01 / 2018-02-25
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今から廿二三年前に上海で出版された「騙術奇談」といふ四巻の書がある。わが読者のうちにも已に御承知の方もあらうが、古来の小説随筆類のうちから詐欺的犯罪行為に関する小話を原文のまゝに抜萃したもので、長短百種の物語を収めてある。
 そのうちに「銀飾肆受騙」といふ一話がある。金銀の飾物を作る店で、店さきに一つの燈火を置き、その灯の下で店の人が首飾の銀細工をしてゐると、やがてそこへ一人の男がひどく弱つたやうな風をして近寄つて来て、哀しさうな声で云つた。
『わたしは腫物で困つてゐる者ですが、幸ひに親切な人が一貼の膏薬をくれまして、これを貼れば直ぐに癒るといふのです。就ては甚だ申し兼ねましたがお店の灯を鳥渡拝借して、この膏薬を炙りたいのでございますが……。』
 店の人も承知して灯を貸してやると、男は大きい膏薬を把り出して灯にかざしてゐたかと思ふと、不意にその膏薬を店の人の口に貼り付けた。あつと思つたが、声を出すことが出来ない。男はその間に手をのばして、そこにある貴重の首飾を引つ攫つて逃げ出した。店の人はやうやくに口の膏薬を剥がして、泥坊泥坊と呼びながら追ひかけたが、賊はもう遠く逃げ去つてしまつた。

 この話を読んで、わたしは江戸時代にもそれと殆ど同様の事件のあつたことを思ひ出した。犯罪者も所詮はおなじ人間であつたから、その悪智慧も大抵はおなじやうに働くのであらう。わが江戸の話は文政末期の秋の宵の出来事である。四谷の大木戸手前に三河屋といふ小さい両替店があつて、主人新兵衛夫婦と、せがれの善吉、小僧の市蔵、下女のお松の五人暮らしであつた。
 秋の日の暮れ切つた暮六つ半(午後七時)頃である。小僧はどこへか使に出た。新兵衛夫婦は奥で夜食の膳に向つてゐて店には今年十八歳の善吉ひとりが坐つてゐると、若い侍風の男ふたりが這入つて来て、ひとりは銀一歩を銭に換へてくれと云ふので、善吉は、その云ふがまゝに両替へをして遣ると、男は他のひとりを見かへつて、笑ひながら云つた。
『おい。こゝの火鉢を借りて、一件の膏薬を貼つたら何うだ。』
『むゝ。』と、他のひとりも同じく笑ひながら躊躇してゐた。彼は顔の色がすこしく蒼い。その上に、左の足が不自由らしく、歩くのに跛足をひいてゐた。
『どこかお悪いのですか。』と、善吉は訊いた。
『悪い、悪い。大病人だ。』と、初めの男はまた笑つた。
『よせ、よせ。もう行かう。』と、他の男はやゝ極まりが悪さうに起ちかけた。
『はゝ、痩我慢をするなよ。』と、初めの男は矢はり笑つてゐた。『実はこの男はあんまり女の子等に可愛がられた天罰で、横痃を遣つてゐる。そこで今、伝馬町の薬屋で瘡毒一切の妙薬といふ赤膏薬を買つて来たのだが、そこで直ぐに貼つてしまへば好いのに、極まりを悪がつて其儘に持つてゐるのだ。こゝの店には、ほかに誰もゐなくつて丁度好い。その火を借りて早く貼つてしまへよ。』…

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