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秩父の渓谷美
ちちぶのけいこくび
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日
初出「太陽」1926(大正15)年6月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2014-07-25 / 2014-09-16
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

五月の秩父

 いつも五月、一年中でのよき日である五月になると、私は秩父の山や谷を思い出すことが避け難い一の習慣のようになっている。恐らく秩父の自然に、私などのよく歩いた時と今とでは、人工的に加えられた変化の大なるものがあるであろう。私自身も其中の幾つかを見て知っている。けれども其山や谷がもつ懐しさには少しも変りが無い。そして其懐しさは、全く秩父の山も谷も、人を惹き寄せて置いて、更にこれを抱擁するといったようなやさしさにたとう可き或者を持っている為であることを否めないのである。秩父の山としては異彩を放っている両神山でも瑞牆山でも、或は又破風山でも金峰山でも、人を威嚇するようなところは少しも無い。あの金峰山頂の五丈石なども、遠望のいかめしいに似ず、近寄って見ると単に大きな岩が平凡に積み重っているだけのものに過ぎないのを発見する。唯笛吹川の上流子酉川の左岸に屹立した鶏冠山のみが、青葉の波の上に名にし負う怪奇な峰頭を擡げて、東沢西沢の入口を扼し、それらの沢の奥深く入り込もうとする人に、暗い不安の影をちらりと投げ懸けているといえばいえよう。それでいて反て此山あるが為に、其奥に隠された秘密の如何に優しい美しいものであるかを想像せしむるに余りある程の親しみ易さを見せているようである。私が後になって友の二人と初めて東沢の奥を探ろうと思い立ったことを遡って考えて見ると、雁坂峠の登り口の赤志から、暗示に富んだ其山の姿を望見した時の印象に負う所が多いのに気がつくのである。
 斯くて秩父の山や谷が私に与える感じは、情緒的であり女性的である。ここでは岩石といわず草木といわず、総てのものが氷や雪との激しい闘争から、いじけたりくねったり、裂かれたり削られたりした、荒い力強い姿は見られない。山上の湿地や乾燥地にそれぞれ咲きほこっている美しい花の集合であるお花畑もなければ、山肌を飾る万年雪の冴えた輝きもない。其代りに一つ唯一つ、ゆかしい苔の匂と木の香とに満ちた、稍陰鬱に過ぎるとさえ思われる深林が、山麓から比較的高度の大きい山頂までも掩うている。そしてこの深林こそは、秩父の渓谷を美ならしむる要素を成しているのである。
 秩父の奥山に一たび足を踏み入れた人は、誰でも秩父の特色は深林と渓谷にあることを心付かない者はないであろう。それ程秩父では此二者が密接な関係を有している。深林あるが為に渓谷は愈々美しく、渓谷に由りて深林は益々其奥深さを増してゆくので、二者孰れか一を欠いても、秩父の特色は失われなければならぬ。つまり秩父では、昔の文人の多くが山水を賞美する場合のように、両岸に岩骨を露出した怪岩奇峰を眺めることのみが目的であってはならないのである。若し岩壁の豪宕壮大なる、渓流の奔放激越せる、若くは飛瀑の奇姿縦横なるものを覓めたならば、瀞八町であろうが、長門峡であろうが、或は石狩川の大箱小箱であろうが…

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