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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題084 お染の歎き
084 おそめのなげき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「銭形平次捕物控(八)お珊文身調べ」 嶋中文庫、嶋中書店
2004(平成16)年12月20日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1939(昭和14)年1月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2017-09-21 / 2017-10-01
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「八、あの巡礼を跟けてみな」
 平次は顎をしゃくって見せました。が、浅草橋の御見附を越して、浜町の方へトボトボと辿って行く男巡礼、頽然とした六十恰好の老爺に、何の不思議があろうとも、ガラッ八の八五郎には思えなかったのです。
「あの、拙い御詠歌をやって歩く――」
「そうだよ」
 八五郎はそれ以上の問答を重ねませんでした。主人の命令を受けた猟犬のような素早さで、老巡礼の後をヒタヒタと跟けて行ったのです。
 老巡礼は口の中で何やらブツブツ呟きながら、一軒一軒の戸口に立って、恐ろしく下手な御詠歌を歌って歩きましたが、どこでも相手にしてくれそうな様子はありません。
 何軒目か――小意気なしもたやの前へ来ると、格子が開いて、盆の上へ小銭を捻ったのが一つ、四十恰好の女が差出しました。
 老巡礼の御詠歌は、その報謝とは関係なく、しばらくは続きましたが、歌が終ると、
「――お染やぁい」
 さまで、高くはありませんが、身に沁みるような悲痛な声が、老巡礼の唇を衝いて出たのです。
 主人の女はしばらく躊躇いましたが、やがて思い切った様子で、
「お前さん、どうしたというんだい、お染さんとかを、尋ねてでもいなさるのかい」
 老巡礼の踵を返した後ろ姿に声をかけたのです。
「ハイハイ、左様でございますよ、お神さん、――取って十九、左の眼が見えない、お染という娘を御存じじゃございませんか」
「お染さんというのは、一人二人知ってるけれど、左の眼が悪いのは知らないねえ」
「どなたも左様おっしゃいます。――やはりこの世では縁がないのでございましょう。――そう思って諦めようとは思いますが、浅ましいことには諦めきれません」
 老巡礼は声もない嗚咽に、皺だらけな頬を引きつらせながら、ボロボロと涙をこぼしているのです。
「まア、お気の毒な」
 女主人は思わず鼻を詰らせましたが、それ以上に立入ったところで、どうにもならないと思い返した様子で、トボトボと遠ざかり行く、老巡礼の後ろ姿を見送るばかりでした。
「親分」
 八五郎は路地の外に居る平次の姿を見付けると、老巡礼から目を離して、その側に寄ります。
「シッ、――もう少しあの巡礼の後を跟けるんだ。俺は外に仕事がある」
「いやな術じゃありませんか、親分、引っ括って二三束引っ叩いてやりましょうか」
 ガラッ八の八五郎は、巡礼の愁歎を、物貰いの念入りな術だと思ったのでしょう。
「馬鹿なことをしちゃならねえ、――あれを見るがいい」
 平次の指さした方を見ると、十七八の綺麗な娘が一人、老巡礼の後を追って、どこまでもどこまでも見え隠れに跟けているのです。
「へエ、――筋がありそうですね、親分」
「手前はあの娘を知らないのか」
「この辺の者じゃありませんよ」
「この辺の者で、あれほどのきりょうなら、八五郎が知らないはずはないだろう」
「まア、そう言ったようなもので――…

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