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女順禮
おんなじゅんれい
副題並にサンヤレの事
ならびにサンヤレのこと
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「合本江戸生活研究 第貳輯」 春陽堂
1929(昭和4)年7月23日
初出「江戸生活研究 彗星 七月號」春陽堂、1927(昭和2)年3月15日
入力者あたみ
校正者川山隆
公開 / 更新2015-01-15 / 2015-02-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 元祿三年版枝珊瑚珠は江戸咄の元祖鹿野武左衞門を初め浮世繪師石川流宣等の噺を集めた物。其卷三に百姓ほめ言葉を出す。曰く「錢とぞ契る御契錢(傾城)百姓の身にし有ば、たよふ格子の詰開き、其と斗りもきせちなし、まつた讃茶のやかばねの、てるばちない二階にて、丁子圓をくやらかし、わんぼうに香を留て、いしくも有ぬいき張合ひ、局の君がおと骨の、えこせぬくぜつもかしがまし、一疊半のおへや住、足を斗りに一里塚、つかの間君と伏見町、かしのいよこの女郎達、煙管くはへてつぼつこい、まなこの鹽のしほらしや、ゆへば結るゝ江戸鹿子、こくも薄くも紫の、色をぞ頼む單帶、五尺手拭ひ中染て、染も染たよ京町の、三浦まがきの筋向ひ、稻荷屋敷でうつ惚た、思ひは是もおれがつれ、ことづてもてこい[#挿絵]暖簾、色をも香をもしる人よ、但しいんにやかそれ迚も、せず樣がないやぼ助の、滅多矢鱈の太鼓持、うつ程伸るそば切か、けんどんの君にほだされて、西國西國西國順禮、胸に木札の絶るまもサンヤレ」と。
 此言葉に誤字もあるべく、分らぬ事も多いが、要するに賣女の稱呼や其方の用語が多きに居る。けんどんの君迄は判つてゐたが、西國順禮とは何か一向分らなんだ。處が三月號三一頁に出た鳶魚先生の「女順禮」を讀んで、賣女の一群に西國順禮も有つたと判つたから厚く御禮を申し上げておく。
 件の詞はけんどんの君にほだされて胸に思ひの絶間なきを、西國順禮が順拜所の棟に打付ける木札の絶る間なきに比したので、胸を棟に通はし言ん爲に、傾城、讃茶、けんどん等と同じく賣女の一群たる西國順禮の稱呼を出したので、捻くつていはゞ、貫之が「早くぞ人を思ひそめてし」と云んとて「岩波高くゆく水の」と構へ、その前置きに「吉野川」とよみ出した如し。扨鳶魚先生が言れた通り、足薪翁記に寛文の頃女巡禮[#「女巡禮」はママ]夥しくはやつたとあるは此事の沿革を知る材料になる迄であるが元祿三年出版の本既に西國順禮を賣色女の列に入れあるをみると、先生が示された寶永元―七年に此の賣女群が始まつたでなく、多からぬ違ひ乍ら、寶永の初めよりは少なくとも十三年前、はや西國順禮の出立ちで如何はしい業をする女群が歩いたと知る。
 序でに申す。紀伊國東牟婁郡勝浦港へ、明治卅四年冬より三年程の間だ屡ば往來逗留した。彼の邊で船饅頭をサンヤレと呼んだが今はどうか知らぬ。船をこぐ懸聲にヨーイ、サンヤレ、是はヨイサ、ヤレを長く呼ぶに出たらしい。船饅頭連が泊り船を目懸けてこぎ付る時一と際面白くこの懸聲を連呼したから其輩をサンヤレとよんだ事と察し居た。然るに右に引いた枝珊瑚珠の卷一をみると「惣別何にてもはやり事をし出せば設ける物也、織物にさへイチノヤ織サンヤレ織云々」とある。是でサンヤレは本と流行織物の一種と知た。只今は聞かぬが吾輩幼時迄、サントメといふ綿布が有た。和漢三才圖會二七に、按ずるに三止女は南天竺の…

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