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新書太閤記
しんしょたいこうき
副題11 第十一分冊
11 だいじゅういちぶんさつ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「新書太閤記(十一)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年8月11日
初出太閤記「読売新聞」1939(昭和14)年1月1日~1945(昭和20)年8月23日<br>続太閤記「中京新聞」他複数の地方紙1949(昭和24)年
入力者門田裕志
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2016-08-11 / 2016-09-18
長さの目安約 382 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

黒石・白石

 ぜひもなく秀吉もまた、軍をかえして、楽田へひきあげた。
 彼が舌を巻いて嘆じて云った――モチにも網にもかからない家康と、またふたたび、小牧において、にらみあいの対峙をつづけるほかなかった。
 こうして、長久手の一戦は、池田勝入父子のあせりに大きな敗因があったにしても、秀吉にとって、重大な黒星であったことは、いなみ得ない。
 だが。
 こんどに限っては、終始、秀吉のほうが何となく、その序戦の前からすべてに立ち後れをとっていたのも事実である。
 それは、秀吉が、戦場における家康を見て、初めて、モチにも網にもかからない男だと知ったのでなく、戦わざるうちから、家康の何者なるかを、熟知していたためだった。
 いわば、達人と達人、横綱対横綱の、立ちあがりにも似ていた。
(途中の小城に目をくるるなよ。道くさすなよ)
 と、あれほど、出撃のさいに秀吉が勝入へいっておいたにもかかわらず、勝入が、岩崎城の城兵から挑まれて、一もみになどと踏みつぶしにかかったことも、帰するところ、勝入の人物が、それだけの器だったというほかはない。
 器――
 こればかりは、生れついた量を、急に、大きくさせようとしても、どうにもならぬ。
 家康も器。秀吉もひとつの器――。この対照が、このいくさを、決定する。
 長久手の総くずれを聞いたとき、秀吉は、実は、しめたと、手にツバしたほどだった。家康が、かたい殻を出たので、勝入父子の討死こそ、家康を生け捕る好餌になったぞ――と思ったからであった。
 ところが、敵は、火のごとく出て、風のごとく去り、去るや林のごとく、また小牧へ退いては、泰然と、前にもまさる山岳の重きを見せてうごかない。
 秀吉は、脱兎を逃した感じだった。だが、かれはみずからなぐさめた。
「ちょっとした指の怪我ではあったよ」と。
 たしかに、かれの兵力と物質上には、大した損害でなかったにちがいない。しかし、精神的には、家康の陣営をして、
「猿面公。いかがでおざる」
 と、いわぬばかりな凱歌のほこりを揚げさせた。
 いや、この黒星は、その以後の長い――秀吉と家康とのあいだにかかる交渉と、両者の心理に、生涯なんとなく、胸のうちに継続していた。
 しかし、家康もまた、
「筑前という人間は」
 と、いよいよかれを見るに、大器量の男となし、それを向うにまわした自己の宿命に、ふかく意を用いずにいられなかったろう。
 とにかく、長久手半日の激戦以後は、どっちもまた大事をとって、ひたすら一方のうごきを見、その機に乗じようとする呼吸ばかりで、かりそめにもヘタな攻撃はいずれもやらない。
 誘いは、くり返された。
 四月十一日、秀吉が、全軍六万二千を、小松寺山まで出したなども、その手だったが、小牧山の表情は、静かな微苦笑にすぎなかった。
 その後また、同月の二十二日には、こんどは家康の方から誘いを仕掛…

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