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凡人凡語
ぼんじんぼんご
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「ボロ家の春秋」 講談社文芸文庫、講談社
2000(平成12)年1月10日
初出「新潮」新潮社、1962(昭和37)年6月
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2016-05-28 / 2016-03-04
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 その子は、ぼくを嫌っています。いや、たしかに憎んでいるのです。
 今子供と言いましたが、もう子供じゃないのかも知れない。戦後子供の背丈がにょきにょきと向上して、どこで大人と子供の区別をつけるのか、どうも判らなくなって来たようです。言うことは子供っぽくても、身長が百八十センチもあったり、あるいは逆に、恰好は子供子供としているのに、言うことだけはぺらぺらと悪達者だったり、けじめのつかない場合がしばしばある。ぼくはもう三十七歳になって、彼等の世界と相渉ることがないので、どうでもいいようなもんですが、やはりけじめのつかないということは、良いことじゃありません。
 先年先輩のお伴をして、九州へスケッチ旅行に行きました。いろいろ見たり聞いたり描いたりして来ましたが、驚いたのは向うの食用植物の大ぶりなことですな。ビールの肴にするから、モロキュウを呉れと頼んだら、一尺近いキュウリがでんと皿の上に乗って出て来る。びっくりして、も少し細いのを、と頼むと、
「こっちの方がおいしかとです。花のついて痩せたのは、栄養はなか!」
 ナスもそうです。東京で煮物に使う長いナスが、姿を変え形を改めては、皿の上に現われる。ふしぎに思ってわけを聞いてみると、向うでナスビと言えばこれで、丸っこいのは特別に巾着ナスと言うのだそうです。関東では丸っこいのが普通で、長いのを長ナスと呼ぶでしょう。つまりその反対ですな。考えの基本が違う。
 近頃の子供(または半大人)は、この九州のキュウリやナスに似ているような気がします。こちらの食慾や理解を頑強に拒否するようなものを、たしかに持っている。何に由来するのか、ぼくはよく判らない。特に判りたいとも思わない。
 その子の名前は、平和と言うのです。平和と言うからには、終戦後に生れたのに違いありません。何が何でも勝ち抜くぞの時代に、自分の子供に平和なんて名がつけられる筈はないですからねえ。
 平和君の声は、ぼくは前から聞いていました。私の斜めうしろの家に、亀田さんという家があります。そこへ二日に一度、三日に一度ぐらい、少年の声が遊びにやって来る。
「亀田クーン」
「亀田クーン」
 亀田家に到る小路の、ドブすれすれにぼくの画室は建っている。けれどその路に面したところは、一面の板壁になっていて、明り取りが上の方に小さくついているだけで、ぼくの方からは全然見えない。ただ声を聞いているだけで、どんな顔の、どんな身なりの少年かは、ぼくは見たことがありません。でも、少年が友達を呼ぶ声は、その抑揚や発声法には、一種の感じがありますねえ。
「亀田クーン」
 のクーンにアクセントをつける。春の日の昼下りに、竿や竿竹、の呼び声を聞く時や、夜更けに耳に届いて来るチャルメラの響き、そんなのと趣きは違うけれど、何か郷愁を伴ったような、妙な哀感がある。
 その少年の声が、この間からすこしずつ変…

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