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池のほとりに柿の木あり
いけのほとりにかきのきあり
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻52 学校」 作品社
1995(平成7)年6月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-02-16 / 2015-01-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 旅行に出て汽車の窓からつと見かける小学校の建もの、その校庭や体操器械など、小さな花壇や鳩小舎など、いつ見かけても心をひかれるもののあるのを覚える。さういふ時に私の心を掠める古い記憶はなつかしい。記憶といつても、何の記憶かさだかでないながら、そのなつかしさだけがついと胸をうつやうな感じである。ありがたいことだと思ふ。私は大ぜいの先生方から、いろいろなことを教つた。――後に上級の学校へ行くやうになつてからもさうであつた、それもさることながら、やはり小学校のじぶんのことをここではいふ。何を教つたかその一かけらさへも思ひ出せないじぶんになつて、まことに、ありがたいことであつたと思ふのである。正直なところを告白すれば、大ぜいの先生方のお名前すら、二三の外は思ひ出せさうでなかなか思ひ出せない、そんなじぶんになつてこれをいふ。
 ところで、S先生のお名前だけは、折ふしひよいとした機みに、前後に何の脈絡もなく記憶に浮び上つてくることがある。そのお名前を唇にのぼせてみると、私には何とも説明のつかない情感の蘇つてくるのを覚える。それだけはいつもきまつて、健忘症の私にも、くつきりとあざやかなやうに覚える。「池のほとりに柿あり」といふ拙作は、先年――これももう二十年ばかり以前になる――その心覚えのやうなつもりで認めておいた。ノートのやうなつもりで、柿の木以下事実に即してゐる。

池のほとりに柿の木あり
幹かたむきて 水古りし 堤の上を
ゆきかよふ路もなつかし
草青き小路の彼方
松高く築地は低き学び舎に
われは年ごろ何ごとを学びたりけん
今は記えず
なべては時の「死」の箒 ははき消しゆく
遠かたの跡なきにただ
それさへや はやおぼろめく
師の君の おん影 すがた……
額ひろく 顎しじまり
髭みじかく
顔 つぶらにかがやきて
形やや辣韮に似たまひき
おん声は泉のごとくすずしかりかり
四季つねに紺の詰襟折り目たち
手に細き鞭一枝たづさへたまひき
ああわれはいま遠く消えゆくオルガンのこゑに耳かすごとく
君がおん名のおのづから唇にのぼり来るをなつかしむ
君は一と日命を得て
故郷丹波の国なにがしの郡にしりぞきたまふとて
その日空晴れ 雲飛びて 陽ざし明るき教壇ゆ
ゆくりなき言葉かたちをいぶかしむ 童が耳に
霹靂の言をのらしぬ
はた 壇を下りたまひて ねんごろに
こはまみあげて 声もなき 童が肩に手をおかし
つばらかに別辞のらしたまひぬ
歔欷の声室に満ちたり
日頃はおそき春の日の ひと時は束の間なりき
さらばとて君扉を排したまふとき
つと起ちて そは一たび ただ一たび
鋭ごゑに君が名を呼びしをみな子ありき
その声のなほわが耳にのこれるよ
思ふにわれはかかる日に
さだめなき人の世の絵物語のひとしをり
げにあはれもふかく ゆかしきを学びたりけん
かくてわれ人の世の半ばをすぎぬ――
ただ願はくば け…

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