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彼のオートバイ、彼女の島
かれのオートバイ、かのじょのしま
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「彼のオートバイ、彼女の島」 角川文庫、角川書店
1980(昭和55)年5月20日
入力者高橋雅康
校正者りゅうぞう
公開 / 更新2017-07-07 / 2017-07-06
長さの目安約 258 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

ほんとにきみが欲しいんだ、ほんとに
きみが必要だ、ベイビー、神にきいてくれてもいい
きみなしではリアルになれない
ああ、どうしたらいいだろう

きみのおかげでリアルになれる
きみのおかげで恋人のような気持ちになれる
まちがったみじめな気持ちもきみのおかげで捨て去ることができる
恋人よ、きみはぼくをフリーにしてくれる

きみのおかげでリアルになれる
そんな力を持っているのはきみだけ
だからぼくはきみの海のなかにすべりこみたい
恋人よ、ぼくをフリーにしてくれ。
ドアーズ『ユー・メイク・ミー・リアル』
[#改丁]



 カワサキのオートバイにまたがって、ぼくは、にぎりめしを食べていた。
 サイド・スタンドが雑草をまきこみ、土の中にすこしめりこんでいた。
 かたむいたオートバイのシートに腰をのせ、重いブーツをはいた左足を地面につき、右足は、ステップに軽く置いていた。
 高原の涼しい風が、いろんな方向から吹きぬけた。
 遠く浅間山のうしろに、入道雲がそびえはじめていた。空は、まっ青だ。
 浅間のずっと左手に、菅平が一望できた。
 ぼくは、そのとき、千曲川をはさんで反対側、別所温泉の高原にいた。
 今朝、露天風呂のある宿を出てすぐに、ガス・ステーションの自動販売機で買ったにぎりめし。
 夏のさかりの信濃。晴天の下でカワサキにまたがり、浅間の入道雲を見ながらの昼食だ。
 にぎりめし自体は、おいしくもなんともなかった。ただし、状況は素晴しい。
 これでお茶があればと、ぜいたくなことを思ったとき、うしろに足音がした。
 手に持っていたにぎりめしの残りを口に押しこみ、ぼくは、ふりかえった。
 若い女のこだった。
 ふりかえったとたんに、視線が合ってしまった。とてもはにかんだような表情で、彼女は、微笑してみせた。
 ぼくは、微笑をかえせない。両方の頬が、にぎりめしで大きくふくらんでいる。
 米と梅ぼしのなかにベロがとられてしまって、ウンともスンとも言えはしない。ひとつうなずいたぼくは、必死になって、口の中のにぎりめしを噛んだ。
 彼女は、ぼくのほうに、歩いてきた。すんなりした体つきに、軽い足どりだった。ほどよい長さの髪に、化粧っ気のない、小麦色の顔。
 おさえた色の、オフ・ボディみたいなコットンの半袖ワンピースに、ストラップのサンダル。大きな半月のかたちをした編みかごを肩にかけ、片手には、地図を折りたたんで、持っていた。
 昨日、ぼくがとおってきた松本の町が、彼女のような夏の旅の女のこたちで、いっぱいだった。
「おほ」
 よお、とぼくは言おうとしたのだ。だが、口の中には、まだかなりのにぎりめしがあったので、こうなってしまった。
 ぼくのすぐそばで、彼女は、立ちどまった。そして顎を一度だけ、くんとあげて、ぼくの「おほ」のひと言に、こたえてくれた。
 顎のさきが、かわいい。風に、…

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