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若き日の思い出
わかきひのおもいで
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第七巻」 岩波書店
2001(平成13)年4月5日
初出「若き日の思い出」旺文社、1956(昭和31)年1月30日
入力者kompass
校正者砂場清隆
公開 / 更新2016-07-04 / 2016-06-10
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私の中学時代は、大正の初めごろであって、明治時代の先生方とくらべたら、だいぶ文明開化になっていた。しかし郷里が北陸の片田舎であり、中学があった小松の町も当時はまだ小さい町であった。それで中学時代のことをいまから思い出してみると、ずいぶん旧式な教育をうけたものだという気がする。
 中学の五年間は、完全に寄宿舎生活をした。その寄宿舎生活で、いま頭に一番残っていることは食事がまずかったことである。一月の寄宿料が六円であったのだから、無理もない話である。もっとも昔の話の例として、よく米が一升何銭だったというような話がでるが、それほどの昔ではない。第一次大戦がちょうど私の中学時代にあったので、もう相当物価も上がっていた時代である。
 それに寄宿生も多ければ、まだ何とか融通もつくのであるが、全部で四十人ぐらいしかいなかった。それでも賄夫をふたりやとってその月給も、寄宿料の中から払っていたのであるから、食事が粗末になるのも当然であった。
 飯は四分六の麦飯であって、それがたんつぼのような白い陶器の器に盛り切りである。朝はみそ汁だけ、それも塩を半分入れた薄い汁である。昼も晩も、一菜だけであって、煮魚か野菜の煮込みにほとんどきまっていた。どちらか一方なのである。
 いまの栄養学の知識からいったら、ずいぶんひどいものを食べていたわけである。したがって栄養の方もよくはなかった。中学五年間ずっと体格は丙で通してきた。しかし不思議なことにはこういう食事をとりながら、運動も盛んにやり、野球の選手までつとめてきたのであるから、人間というものは案外に芯が強いものだと、われながら感心する。もっとも多分そのせいだろうと思うが、中学を出てからも、ずっとからだは弱くて、大学卒業後までも、いつも微熱がでたり、かぜがいつまでもあとをひいたりして、ひどく弱ったことが多い。
 寄宿生活で一番の楽しい時は、月に一度「洋食」がでることであった。金曜日の夕方、暗い食堂の黒板に「来週水曜日、洋食」という発表がある。さあ皆が大さわぎである。水曜が待ち遠しくてかなわない。この洋食はいつも昼食の時にでるのであるが、その時に飯も白い飯である。この月に一度の御馳走である洋食というのは、オムレツかライスカレーなのである。たいていかわりがわりにでるので、先月はカレーだったら、今月はオムレツだという工合に皆がはり切って待つわけである。当時のことを考えてみると、このごろの大都市の生活は、食生活と限らず、全般的にひどく向上したものだと、つくづく感ずることがある。

 寄宿舎だけでなく、学校の校風全体が、ひどくスパルタ的であった。腹がへるので、外出の時にそばやうどんくらいは食べたいのであるが、生徒がそういう飲食店にはいったところが見つかると、停学をくうことになっていた。停学が二度重なると退学である。うどんもそばも一杯二銭であったが、…

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