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枕物狂
まくらものぐるい
作品ID58138
著者川田 順
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻55 恋心」 作品社
1995(平成7)年9月25日
入力者富田晶子
校正者noriko saito
公開 / 更新2017-01-01 / 2017-01-01
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 老いらくの恋――その発生原因を一考するこの種の恋は、先づ以て、古今の芸術家の場合に折々見られる。芸術家の心は老を知らぬ常若のものなるが故に、といふのが普通の解釈である。常若人種なる芸術家は、たとひ現実に老いらくの恋をしなくても、恋する可能性を死ぬまで持ち続けて行く、と観ることが出来る。特に、偉大な芸術家に於てさうである。ほんの一例をあげれば、近松巣林子は老境に入つてから「万年草」「歌念仏」「冥土飛脚」「天網島」等々を書いたが、これらの戯曲中に出る男女の熱愛は、現に作者自身が恋をしてゐるか、或は恋する可能性を持つてゐるかでなくては、あのやうに如実に描写出来るものではない。消え去つた過去の体験の追想のみでは、あのやうに書けるものではない。
 芸術家に限らず一般の人間に関しては、どのやうに説明したらばよいか。クレッチュメルの天才周期説を普通人の場合に援用して、恋愛は周期するといふやうに考へることが出来ないだらうか。大地震が周期するやうに、火山の噴火が周期するやうに。周期が襲来すると、老いさびて死灰の如き心の底にも、抵抗しがたき動揺が起るものと説明したらばどうか。クレッチュメルは、たしか七年毎に周期が来ると云つたけれども、それは天才に就いての仮定で普通人には何年目に来るのか見当が付かない。
 老人が図らずも異性の好意に遭遇すると、「これが一生の最後の恋だ」といふ諦念乃至自覚に原因して、ひどく一途になり、真剣になるといふことはないか。そのために、最初はほのかな焔で燃えてゐたものが、忽ちの間に、消しがたき熱火となる、といふやうなことはないか。もちろん、この場合にも、「最後の恋」といふだけの原因で熱火を燃やすことは不純であり愚かでもある。真剣の愛に値する対象なるか否かを反省しての上でないと、耄碌である。

「また或時、天皇遊行しつつ美和河に到りませる時に河の辺に衣洗ふ童女あり、其容姿甚だ麗かりき。天皇その童女に、汝は誰が子ぞと問はしければ、おのが名は引田部の赤猪子とまをすと答白しき。かれ詔らしめ給へらくは、汝とつがずてあれ、今喚してむと詔らしめ給ひて、宮に還りましき。かれ其の赤猪子、天皇のみことを仰ぎ待ちて既に八十歳を経たりき。ここに赤猪子おもひけるは、みことをあふぎ待ちつる間にすでにここだくの年を経て姿かたち痩み萎けてあれば更に恃みなし。然れども待ちつる情をあらはしまをさずては悒くてえ忍じと思ひて、百取の机代物を持たしめて参出でたてまつりき。然るに天皇、先に詔りたまへし事をばはやく忘らして、その赤猪子に問はしければ、赤猪子まをしけらく、汝は誰やし老女ぞ、何すれど参来つると問はしければ、赤猪子まをしけらく、その年その月に天皇の命を被りて今日まで大命を仰ぎ待ちて、八十歳を経にけり、今は容姿すでに老いて更に恃みなし。然はあれどもおのが志を顕はし曰さむとしてこそ参出づれともを…

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