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人生
じんせい
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 17 夏目漱石集(一)」 筑摩書房
1968(昭和43)年10月25日
入力者柿澤早苗
校正者伊藤時也
公開 / 更新2000-02-04 / 2014-09-17
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 空を劃して居る之を物といひ、時に沿うて起る之を事といふ、事物を離れて心なく、心を離れて事物なし、故に事物の変遷推移を名づけて人生といふ、猶麕身牛尾馬蹄のものを捉へて麟といふが如し、かく定義を下せば、頗る六つかしけれど、是を平仮名にて翻訳すれば、先づ地震、雷、火事、爺の怖きを悟り、砂糖と塩の区別を知り、恋の重荷義理の柵抔いふ意味を合点し、順逆の二境を踏み、禍福の二門をくゞるの謂に過ぎず、但其謂に過ぎずと観ずれば、遭逢百端千差万別、十人に十人の生活あり、百人に百人の生活あり、千百万人亦各千百万人の生涯を有す、故に無事なるものは午砲を聞きて昼飯を食ひ、忙しきものは孔席暖かならず、墨突黔せずとも云ひ、変化の多きは塞翁の馬に[#挿絵]をかけたるが如く、不平なるは放たれて沢畔に吟じ、壮烈なるは匕首を懐にして不測の秦に入り、頑固なるは首陽山の薇に余命を繋ぎ、世を茶にしたるは竹林に髯を拈り、図太きは南禅寺の山門に昼寝して王法を懼れず、一々数へ来れば日も亦足らず、中々錯雑なものなり、加之個人の一行一為、各其由る所を異にし、其及ぼす所を同じうせず、人を殺すは一なれども、毒を盛るは刃を加ふると等しからず、故意なるは不慮の出来事と云ふを得ず、時には間接ともなり、或は又直接ともなる、之を分類するだに相応の手数はかゝるべし、況して国に言語の相違あり、人に上下の区別ありて、同一の事物も種々の記号を有して、吾人の面目を燎爛せんとするこそ益面倒なれ、比較するだに畏けれど、万乗には之を崩御といひ、匹夫には之を「クタバル」といひ、鳥には落ちるといひ、魚には上がるといひて、而も死は即ち一なるが如し、若し人生をとつて銖分縷析するを得ば、天上の星と磯の真砂の数も容易に計算し得べし
 小説は此錯雑なる人生の一側面を写すものなり、一側面猶且単純ならず、去れども写して神に入るときは、事物の紛糾乱雑なるものを綜合して一の哲理を数ふるに足る、われ「エリオツト」の小説を読んで天性の悪人なき事を知りぬ、又罪を犯すものの恕すべくして且憐むべきを知りぬ、一挙手一投足わが運命に関係あるを知りぬ、「サツカレー」の小説を読んで正直なるものの馬鹿らしきを知りぬ、狡猾奸佞なるものの世に珍重せらるべきを知りぬ、「ブロンテ」の小説を読んで人に感応あることを知りぬ、蓋し小説に境遇を叙するものあり、品性を写すものあり、心理上の解剖を試むるものあり、直覚的に人世を観破するものあり、四者各其方面に向つて吾人に教ふる所なきにあらず、然れども人生は心理的解剖を以て終結するものにあらず、又直覚を以て観破し了すべきにあらず、われは人生に於て是等以外に一種不可思議のものあるべきを信ず、所謂不可思議とは「カツスル、オフ、オトラントー」の中の出来事にあらず、「タムオーシヤンター」を追懸けたる妖怪にあらず、「マクベス」の眼前に見はるゝ幽霊にあらず、「ホー…

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