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S中尉の話
エスちゅういのはなし
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「新進作家叢書22 修道院の秋」 新潮社
1918(大正7)年9月6日
入力者小林徹
校正者伊藤時也
公開 / 更新1999-11-29 / 2014-09-17
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

「まあ皆、聞いて呉れ給へ。この僕にもこんな話があるから面白いぢやあないか……」
 と、B歩兵聯隊附のS中尉が話し始めたのです。かう云ふと、定めて戰爭の手柄話でも聞かされるのかと、お思ひになるでせう。處が大違ひなんです。この間Mの家で、一昔前のA中學校の卒業生だつた我我五人が、久し振りに落ち合つた時の話です。五人と云つても、Mはもう法科大學の四囘生ですし、Yはある商店の番頭でお召ずくめかなんかでをさまつてゐますし、Hは高工を出て或る造船所の技手、それにS中尉と、私だつたのです。勿論五人の間には昔ながらの親しみと、寛ぎとがありました。然し、姿形から云ふともう見違へる程大人びて、腕白な中學時代の面影は殆ど何處にもありませんでした。
 寒さの隨分嚴しい晩でしたが、しつきりなしに喫かす煙草の烟や、Mのお母さんの心添への伊太利亞ベルモットの醉ひに、皆の顏は赤く染まり、何となく座が浮き立つてゐました。それに何と云つても血氣盛りな、若若しい人達の集りです。自分の生活や爲事の話、行先の希望、人生觀などと話題に興が乘つて、やがて結婚や女性問題が話の中心に進んで來た時です。
「どうだい。久し振りの罪滅しに戀愛に關する告白をし合はうぢやないか……」
 と、座の一人が提議しました。
「賛成、賛成……」
 と、調子づいてゐた皆は、直ぐにその提議に和したのです。
 初めの話手はMでした。彼は法科大學生らしい口調と、少し眞面目過ぎるやうな態度である年上の女との戀を語りました。次に商店の番頭のYは、非常にセンチメンタルな調子で、ある娼婦と心中未遂に到るまでの捨て鉢な戀の告白をしました。其處には流石に世間の苦勞を甞め盡して來た男らしい眞實味がありました。温厚で、純で、そして一番年弱だつた技手のHは、少し顏を赧らめながら、或る海軍將官の娘に對する片戀の痛みを物語りました。非常にはしやいでゐた一座がだんだんに沈んで來て、中にもHは自分の話半ばに眼に涙を溜めてゐました。
「どうも皆はなかなか話が豐富なんだな。」
 と、四番目の話手に當つたS中尉が頭を掻きながら云ひました。
 山の手の屋敷町にあるMの家は、募つてくる夜の寒さに軋む雨戸の音さへ身に染む程の靜けさで、殊に主屋と離れたMの書齋は、家人との交渉もなく、思ひのままに話は進むのです。そして夜も大分更け渡つてゐましたが、皆は時の移るのも忘れ勝ちでした。時時、遠くから交叉點を横切る電車の響が、鈍く、寂しく聞えてくるのです。
「さあS、君の番だぞ……」
 と、自分の物語を終つたHは、煙草の烟の輪を吹きながら興奮した面持でせき立てました。
「皆の話が馬鹿に詩的なんで驚いたよ。おまけに後は君だらう……」
 と、S中尉はピンと撥ね上げた、少し貧弱なカイゼル髭を撫でながら、私を見て皮肉に笑ふのです。
「馬鹿あ云ひ給へ。君にだつて君の領分があるぢやあないか……」…

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