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半七捕物帳
はんしちとりものちょう
作品ID1012
副題51 大森の鶏
51 おおもりのにわとり
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「時代推理小説 半七捕物帳(四)」 光文社時代小説文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日
入力者tatsuki
校正者はやしだかずこ
公開 / 更新2000-01-27 / 2014-09-17
長さの目安約 38 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 ある年の正月下旬である。寒い風のふく宵に半七老人を訪問すると、老人は近所の銭湯から帰って来たところであった。その頃はまだ朝湯の流行っている時代で、半七老人は毎朝六時を合図に手拭をさげて出ると聞いていたのに、日が暮れてから湯に行ったのは珍らしいと思った。それについて、老人の方から先に云い出した。
「今夜は久しぶりで夜の湯へ行きました。日が暮れてから帰って来たもんですから……」
「どこへお出かけになりました」
「川崎へ……。きょうは初大師の御縁日で」
「正月二十一日……。成程きょうは初大師でしたね」
「わたくしのような昔者は少ないかと思ったら、いや、どう致しまして……。昔よりも何層倍という人出で、その賑やかいには驚きました。尤も江戸時代と違って、今日では汽車の便利がありますからね。昔は江戸から川崎の大師河原まで五里半とかいうので、日帰りにすれば十里以上、女は勿論、足の弱い人たちは途中を幾らか駕籠に助けて貰わなければなりません。足の達者な人間でも随分くたびれましたよ」
「それでも相当に繁昌したんでしょうね」
「今程じゃありませんが、御縁日にはなかなか繁昌しました」と、老人はうなずいた。「なんでも文化の初め頃に、十一代将軍の川崎御参詣があったそうで……。御承知の通り、川崎は厄除大師と云われるのですから、将軍は四十二の厄年で参詣になったのだと云うことでした。それが世間に知れ渡ると、公方様でさえも御参詣なさるのだからと云うので、また俄かに信心者が増して来て、わたくし共の若いときにも随分参詣人がありました。明治の今日はそんなことも無いでしょうが、昔はわたくし共のような稼業の者には信心者が多うござんして、罪ほろぼしの積りか、災難よけの積りか、忙がしい暇をぬすんで神社仏閣に足を運ぶ者がたくさんありました。わたくし共も川崎大師へは大抵一年に二、三度は参詣していましたが、どうも人間は現金なもので、明治になって稼業をやめると、とかく御無沙汰勝ちになりまして……。それでも正月の初大師だけは、まあ欠かさず御参詣をして、大師さまに平生の御無沙汰のお詫びをしているんですよ。くどくも云う通り、こんにちは便利でありがたい。きょうも午頃から出て行って、ゆっくり御参詣をして、あかりの付く頃には帰って来られるんですからね。むかしは薄っ暗い時分から家を出て、高輪の海辺の茶店でひと休み、その頃にちょうど夜が明けるという始末だから大変です。それだから正月の初大師などと来たら、寒いこと、寒いこと……。それもまあ、信心の力で我慢したんですが、大勢のなかには横着な奴があって、草鞋をはいて江戸を出ながら、品川で昼遊びをしている。昔はそういう連中のために、大師河原のお札が品川にあったり、堀ノ内のお洗米が新宿に取り寄せてあったりして、それをいただいて済ました顔で帰る……。はははは、いや、わたくしなぞ…

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