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政治的価値と芸術的価値
せいじてきかちとげいじゅつてきかち
作品ID1096
副題マルクス主義文学理論の再吟味
マルクスしゅぎぶんがくりろんのさいぎんみ
著者平林 初之輔
文字遣い旧字旧仮名
底本 「日本現代文學全集69 プロレタリア文學集」 講談社
1969(昭和44)年1月19日
初出「新潮」1929(昭和4)年3月
入力者田中亨吾
校正者大野裕
公開 / 更新2000-10-20 / 2014-09-17
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 コペルニクスは地動説をとなえたが、それを統一的理論によつて説明するためにはニュウトンをまたねばならなかつた。ところが今日の小學生は萬有引力の公式を知つている。だからコペルニクスよりも二十世紀の小學生の方がすぐれている!
 石造建築は木造建築よりも進んだ建築である。某々洋食店は石造建築である。法隆寺は木造建築である。だから、某々洋食店の建築は法隆寺の建築よりもすぐれている!
 これ等の論理には矛盾がない。だがこの理論からひき出された判斷は、必らずしも私たちを首肯せしめない。その理由は説明するまでもなく、誰でもちよつと考えて見ればわかることである。
 ところが、次のような命題にぶつつかると問題はそれ程簡單ではない。
 ダンテの作品にはプロレタリア的イデオロギイが含まれていない。シンクレアの作品はプロレタリア的イデオロギイに貫かれている。だから、ダンテの作品は、藝術的にシンクレアの作品よりも劣つている!
 もしダンテがあまり古すぎるなら、これをトルストイとおきかえても、ユゴオとおきかえても、ストリンドベルヒとおきかえてもよい。
 然り! と或る人はこれに賛成して、答えるであろう。藝術作品の價値は、その作品のもつイデオロギイによつて決定される。プロレタリアの勝利のために利益をもたらすものにのみ藝術作品の價値がある!
 否! とある人は答えるであろう。イデオロギイは藝術作品の全價値を決定する要素ではない。そしてプロレタリアの勝利のために、貢獻するということは、藝術本來の性質とは沒交渉である!
 この二つの見方は、最近、マルクス主義文學理論と正統派文學理論とを尖鋭に對立させたのみでなく、マルクス主義文學理論の陣營内に於ても意見の分裂を生ぜしめている問題の焦點である。他の藝術の場合はしばらくおいて、文藝作品の評價の基準についての最近の諸議論は、悉くこの問題を中心としてまき起されているように思われる。
 かような簡單な問題が、どうして、それ程多くの議論を生むに至つたかは、多くの人々には全く不思議に思われるであろうが、それにも拘らずこれは事實なのである。
 私は、この不思議は、マルクス主義作家若しくは批評家は、彼がマルクス主義者であると同時に作家であり批評家であるという二重性のために存するのだと考える。マルクス主義者が文學作品を評價する基準は、あくまでも政治的、教育的の基準であり、作家若しくは批評家が文學作品を評價する基準は、藝術的基準である。この二つの基準を調節し、統一しようという試みに於てマルクス主義批評家若しくは作家の、新しい努力が生れ、そこにさまざまな意見の分裂が生れたのである。大衆文學の問題の如きもその一つのあらわれに過ぎない。
 マルクス主義は、單なる政治學説でも、經濟學説でもなくて一の世界觀である。若しそういう言葉を用いてもよいならば一の哲學である。從つ…

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