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![]() うんどうかいのふうけい |
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作品ID | 1113 |
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著者 | 葉山 嘉樹 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆19 秋」 作品社 1984(昭和59)年5月25日 |
入力者 | とみ~ばあ |
校正者 | もりみつじゅんじ |
公開 / 更新 | 2000-10-06 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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上
あくまでも蒼く晴れ上つた空であり、渓谷には微風さへもない。
表で遊んでゐる子等が「春が来た、春が来た」と唄ひ出した。十一月三日の明治節の国民運動会の日である。
木曾川は底まで澄みきつて、両岸の紅葉を映してゐる。
私が此夏、鮎釣りに泳ぎ渡つた際、大きな蟻に臍を食ひつかれて愕いた、竜宮岩も紅葉の間に浮んで、静もりかへつてゐる。
竜宮岩といふのは、木曾川の中流に、島を為して残つてゐる一大岩塊で、高山の様子がある。そこへ登るには、ロッククライミング以外に手がない。その島の頂上に弁天様が祭つてある。その祠の前や、岩の間などに「土」のあるのを発見して、私は驚いた。
万古の流れに洗はれて、土を守り、樹木を育ててゐる島である。そんなことに驚いてゐる私の臍に蟻が食ひついたのである。大きな真つ黒い山蟻といふ奴である。臍といふものは人間の重心であるから、この蟻はその運搬の技法からいへば、完全に近かつた。だが、悲しいかな、私の方が蟻より大きかつたものだから、蟻の足は岩に届かないで、私の臍の近くでつゝぱつてゐるだけだつた。おそろしく鋭い痛みだつた。ほんとに私を巣の中に運び込まうとする気魄が感じられた。見ると外にも大小の蟻がゐるのである。
これは堪まらぬ、と私は早々に蟻を払ひ落して、岩を伝はつて逃げ下つた。
「人間に食ひついた最初の蟻だらう、それは。その島では」と、折から忙しい中を講演に来てくれたK君が、笑ひながら、臍の話を批評した。
夏中釣りをしたため、今年は私の健康はいゝ。その後もずつと運動を続けてゐるので。
今日は稲扱きの小閑を盗んで村民運動会である。村中が、どんなに前々からこの日を喜び待つてゐることか。まるで大人も子供のやうにである。といへば、私たちの村では、大人も子供のやうに淳朴である。
競技は各区が単位になつて十数区で行はれるが、その中に「三代リレー」といふのがある。これはお爺さん、お父さん、息子、といふリレーである。この選手にこと欠かないから驚く。お爺さんの場合歩が悪くても、息子の場合や孫の場合に、断然取りかへすといふことがある。爺さんが若ければ孫も若いのだ。
下
肥え担ぎ競走は、おそらく農村独特の増産競技であった[#「あった」はママ]。役場と産業組合と国民学校の対抗リレーで、スタートには村長と、組合長と、校長とが並んだ。
まさかいくら何でも、本ものは入れて走れないので、清水を八分目くらゐ湛へた。
ヨーイ、ドン、で駆け出したのだが、村長さんも組合長さんも日頃馴れてゐることとて、腰の据り方といひ、手の振り方といひ、足の運び方といひ堂に入つたものであつた。が、おそらくさつぱり駄目だらう、といふ予想を裏切つて校長も農民の誇りを傷つけるやうなことはなく、抜きつ抜かれつ、水をこぼすまいとして走る、組合長と村長の後を続いた。組合長が…