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春の潮
はるのうしお
作品ID1197
著者伊藤 左千夫
文字遣い新字新仮名
底本 「野菊の墓」 集英社文庫、集英社
1991(平成3)年
初出「ホトトギス」1908(明治41)年4月号
入力者林幸雄
校正者川山隆
公開 / 更新2008-11-08 / 2014-09-21
長さの目安約 79 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一

 隣の家から嫁の荷物が運び返されて三日目だ。省作は養子にいった家を出てのっそり戻ってきた。婚礼をしてまだ三月と十日ばかりにしかならない。省作も何となし気が咎めてか、浮かない顔をして、わが家の門をくぐったのである。
 家の人たちは山林の下刈りにいったとかで、母が一人大きな家に留守居していた。日あたりのよい奥のえん側に、居睡りもしないで一心にほぐしものをやっていられる。省作は表口からは上がらないで、内庭からすぐに母のいるえん先へまわった。
「おッ母さん、追い出されてきました」
 省作は笑いながらそういって、えん側へ上がる。母は手の物を置いて、眼鏡越しに省作の顔を視つめながら、
「そらまあ……」
 驚いた母はすぐにあとのことばが出ぬらしい。省作はかえって、母に逢ったら元気づいた。これで見ると、省作も出てくるまでには、いくばくの煩悶をしたらしい。
「おッ母さん、着物はどこです、わたしの着物は」
 省作は立ったまま座敷の中をうろうろ歩いてる。
「おれが今見てあげるけど、お前なにか着替も持って来なかったかい」
「そうさ、また男が風呂敷包みなんか持って歩けますかい」
「困ったなあ」
 省作は出してもらった着物を引っ掛け、兵児帯のぐるぐる巻きで、そこへそのまま寝転ぶ。母は省作の脱いだやつを衣紋竹にかける。
「おッ母さん、茶でも入れべい。とんだことした、菓子買ってくればよかった」
「お前、茶どころではないよ」
と言いながら母は省作の近くに坐る。
「お前まあよく話して聞かせろま、どうやって出てきたのさ。お前にこにこ笑いなどして、ほんとに笑いごっちゃねいじゃねいか」
 母に叱られて省作もねころんではいられない。
「おッ母さんに心配かけてすまねいけど、おッ母さん、とてもしようがねんですよ。あんだっていやにあてこすりばかり言って、つまらん事にも目口を立てて小言を言うんです。近頃はあいつまでが時々いやなそぶりをするんです。わたしもう癪に障っちゃったから」
「困ったなあ、だれが一番悪くあたるかい。おつねも何とか言うのかい」
「女親です、女親がそりゃひどいことを言うんです。つねのやつは何とも口には言わないけれど、この頃失敬なふうをすることがあるんです。おッ母さん、わたしもう何がなんでもいやだ」
「おッ母さんもね、内々心配していただよ。ひどいことを言うって、どんなこと言うのかい。それで男親は悪い顔もしないかい」
「どんなことって、ばかばかしいこってす。おとっさんの方は別に悪くもしないです」
「ウムそれではひどいこっちはおとよさんの事かい、ウム」
「はあ」
「ほんとに困った人だよ。実はお前がよくないんだ。それでは全く知れっちまたんだな。おッ母さんはそればかり心配でなんなかっただ。どうせいつか知れずにはいないけど、少しなずんでから知れてくれればどうにか治まりがつくべいと思ってた…

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