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紅黄録
こうおうろく
作品ID1200
著者伊藤 左千夫
文字遣い新字新仮名
底本 「野菊の墓他六篇」 新学社文庫、新学社
1968(昭和43)年6月15日
入力者大野晋
校正者小林繁雄
公開 / 更新2006-08-16 / 2014-09-18
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 成東の停車場をおりて、町形をした家並みを出ると、なつかしい故郷の村が目の前に見える。十町ばかり一目に見渡す青田のたんぼの中を、まっすぐに通った県道、その取付きの一構え、わが生家の森の木間から変わりなき家倉の屋根が見えて心も落ちついた。
 秋近き空の色、照りつける三時過ぎの強き日光、すこぶるあついけれども、空気はおのずから澄み渡って、さわやかな風のそよぎがはなはだ心持ちがよい。一台の車にわが子ふたりを乗せ予は後からついてゆく。妹が大きいから後から見ると、どちらが姉か妹かわからぬ。ふたりはしきりに頭を動かして話をする。姉のは黄色く妹のは紅色のりぼんがまた同じようにひらひらと風になびく。予は後から二児の姿を見つつ、父という感念がいまさらのように、しみじみと身にこたえる。
「お父さんあれ家だろう。あたいおぼえてるよ」
「あたいだって知ってら、うれしいなァ」
 父の笑顔を見て満足した姉妹はやがてふたたび振り返りつつ、
「お父さん、あら稲の穂が出てるよ。お父さん早い稲だねィ」
「うん早稲だからだよ」
「わせってなにお父さん」
「早稲というのは早く穂の出る稲のことです」
「あァちゃんおりてみようか」
「いけないよ、家へ行ってからでも見にこられるからあとにしなさい」
「ふたりで見にきようねィ、あァちゃん」
 姉妹はもとのとおりに二つの頭をそろえて向き直った。もう家へは二、三丁だ。背の高い珊瑚樹の生垣の外は、桑畑が繁りきって、背戸の木戸口も見えないほどである。西手な畑には、とうもろこしの穂が立ち並びつつ、実がかさなり合ってついている、南瓜の蔓が畑の外まではい出し、とうもろこしにもはいついて花がさかんに咲いてる。三角形に畝をなした、十六角豆の手も高く、長い長いさやが千筋に垂れさがっている。家におった昔、何かにつけて遊んだ千菜畑は、雑然として昔ながらの夏のさまで、何ともいいようなくなつかしい。
 堀形をした細長い田に、打ち渡した丸木橋を、車夫が子どもひとりずつ抱きかかえて渡してくれる。姉妹を先にして予は桑畑の中を通って珊瑚樹垣の下をくぐった。
 家のまわりは秋ならなくに、落葉が散乱していて、見るからにさびしい。生垣の根にはひとむらの茗荷の力なくのびてる中に、茗荷茸の花が血の気少ない女の笑いに似て咲いてるのもいっそうさびしさをそえる。子どもらふたりの心に何のさびしさがあろう。かれらは父をさしおき先を争うて庭へまわった。なくなられたその日までも庭の掃除はしたという老父がいなくなってまだ十月にもならないのに、もうこのとおり家のまわりが汚なくなったかしらなどと、考えながら、予も庭へまわる。

「まあ出しぬけに、どこかへでも来たのかい。まあどうしようか、すまないけど少し待って下さいよ。この桑をやってしまうから」
「いや別にどこへ来たというのでもないです。お祖父さんの墓参をかねて、九十九里…

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