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泡鳴五部作
ほうめいごぶさく |
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作品ID | 1206 |
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副題 | 01 発展 01 はってん |
著者 | 岩野 泡鳴 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「泡鳴五部作 上巻」 新潮文庫、新潮社 1955(昭和30)年7月25日 |
初出 | 「大阪新報」1911(明治44)年12月16日~1912(明治45)年3月25日 |
入力者 | 富田倫生、沢津橋正一、富田晶子 |
校正者 | 雪森 |
公開 / 更新 | 2016-05-09 / 2016-04-22 |
長さの目安 | 約 232 ページ(500字/頁で計算) |
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一
麻布の我善坊にある田村と云ふ下宿屋で、二十年來物堅いので近所の信用を得てゐた主人が近頃病死して、その息子義雄の代になつた。
義雄は繼母の爲めに眞の父とも折合が惡いので、元から別に一家を構へてゐた。且、實行刹那主義の哲理を主張して段々文學界に名を知られて來たのであるから、面倒臭い下宿屋などの主人になるのはいやであつた。
が、渠が嫌つてゐたのは、父の家ばかりではない。自分の妻子――殆ど十六年間に六人の子を産ませた妻と生き殘つてゐる三人の子――をも嫌つてゐた。その妻子と繼母との處分を付ける爲め、渠は喜んで父の稼業を繼續することに決めたのである。然し妻にそれを專らやらせて置けば、さう後顧の憂ひはないから、自分は肩が輕くなつた氣がして、これから充分勝手次第なことが出來ると思つた。
「あの家は息子さんでは持つて行けますまいよ」と云う風評を耳にした妻は、ます/\躍起となつて、所天の名譽を恥かしめまいといふ働きをやつてゐた。が、義雄は別にそれをあり難いとも思ふのではなく、ただ自分自身の新らしい發展が自由に出來るのを幸ひにした。
繼母は勿論、妻子をも眼中に置かない渠が第一に着手しかけたのは一女優の養成である。琴の師匠をしてゐる友人から、その弟子のうちに一名の美人があつて、それが女優になりたいと云つてるが、どうかして呉れないかと云ふ相談を持ち込んで來た。
渠は既に女優志願者で失敗した經驗を一度甞めてゐるが、兼て脚本を作つたらそれをしツかりやつて呉れるものが欲しいと考へてゐるところだから、わけも無く承諾した。
で、自分の家から芝公園を通り拔けたところにあつた音樂倶樂部の演劇研究部に、自分も會員であるの故を以つて申し込み、志願者をそこの講習生に取りあげて貰ふ相談が成り立つた。そして、いよ/\志願者を渠の家に呼び寄せた――と云ふのは、自分の家から毎日通はせるつもりであつたのである。
家族の反對はいろ/\あつたのはあつたが、渠はそんなことには少しも頓着しなかつた。
「來たものを少しでも冷遇すれば、おれのやる事業を邪魔するも同前だぞ!」
女が赤いメリンスの風呂敷に不斷着の單衣か何かの用意をしてやつて來た時は、その姿や顏付きのいいので、下女までも目をそば立てた。
「いい女だらう」と云はないばかりにして、義雄はそれを引き連れ、その夜、倶樂部へ引き合はせに行つた。が、その最初の引き合せに、氣の變はり易い本人は女優を斷念してしまつた。
紹介者としては、倶樂部の諸會員に對して不面目を感じたよりも、自分の家族が女を連れて歸らない自分を見て冷笑する顏の方が、寧ろ自分に取つて殘念のやうに思はれた。
渠は自分の書齋兼寢室に殘して行つた女の赤い包みを見ながら、その夜も、次ぎの夜も、にがい寂しい顏をしてゐた。
その少し以前のことであるが、義雄の繼母に當てて紀州からハガキが來た。
…