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赤外線男
せきがいせんおとこ
作品ID1245
著者海野 十三
文字遣い新字新仮名
底本 「海野十三全集 第2巻 俘囚」 三一書房
1991(平成3)年2月28日
入力者tatsuki
校正者土屋隆
公開 / 更新2003-02-02 / 2014-09-17
長さの目安約 79 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     1


 この奇怪極まる探偵事件に、主人公を勤める「赤外線男」なるものは、一体全体何者であるか? それはまたどうした風変りの人間なのであるか? 恐らくこの世に於て、いまだ曾て認識されたことのなかった「赤外線男」という不思議な存在――それを説明する前に筆者は是非とも、ついこのあいだ東都に起って、もう既に市民の記憶から消えようとしている一迷宮事件について述べなければならない。
 これは事件というには、実にあまりに単純すぎるために、もう忘れてしまった人が多いようであるが、しかし知る人ぞ知るで、識っている人にとっては、これ又奇怪な事件であることに、この迷宮事件が後になって、例の摩訶不思議な「赤外線男」事件を解く一つの重大なる鍵の役目を演じたことを思えば、尚更逸することのできない話である。
 なんかと云って筆者は、話の最初に於て、安薬の効能のような台辞をあまりクドクドと述べたてている厚顔さに、自分自身でも夙くに気付いているのではあるが、しかしそれも「赤外線男」事件が本当に解決され、その主人公がマスクをかなぐり捨てたときの彼の大きな駭きと奇妙な感激とを思えば、一見思わせたっぷりなこの言草も、結局大した罪にならないと考えられる。――
 さてその日は四月六日で、月曜日だった。
 ところは大東京で一番乗り降りの客の多いといわれる新宿駅の、品川方面ゆきの六番線プラットホームで、一つの事件が発生した。
 それは丁度午前十時半ごろだった。この時刻には、流石の新宿駅もヒッソリ閑として、プラットホームに立ち並ぶ人影も疎らであった。
 あの六番線のホームには、中央あたりに荷物上げ下げ用のエレヴェーターがあって、その周囲は厳重な囲いが仕切られて居り、その背面には、青いペンキを塗った大きな木の箱があって、これにはバケツだとかボロ布などの雑品が入っているのだが、その箱の上を利用して新聞雑誌が一杯拡げられ、傍に青い帽子を被った駅の売子が、この間に合わせながら毎日規則正しく開かれる店の番をしている。
 このエレヴェーターとレールとの間のホームの幅は、やっと人がすれちがえるほどの狭さであるが、その通路にはエレヴェーターを背にして駅の明いているうちは不思議にもきまって、必ず一人の若い婦人が凭れているのだ。その婦人は電車の発着に従って人は変るけれど、其の美しさと、何となく物淋しそうな横顔については、どの女性についても共通なのであった。この神秘を知っている若いサラリーマン達の間には、このエレヴェーター附近を「佐用媛の巌」と呼び慣わしていた。かの松浦佐用媛が、帰りくる人の姿を海原遠くに求めて得ず、遂に巌に化したという故事から名付けたもので、その佐用媛に似た美しさと淋しさを持った若い婦人がいつも必ず一人は居るというのであった。
 その午前十時半にも確かに一人の佐用媛が巌ならぬエレヴェーターの蔭に立っ…

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