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![]() ひぼんじんとぼんじんのいしょ |
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作品ID | 1277 |
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著者 | 岡本 一平 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆 別巻17 遺言」 作品社 1992(平成4)年7月25日 |
入力者 | 渡邉つよし |
校正者 | 菅野朋子 |
公開 / 更新 | 2000-11-13 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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牛や魚は死ぬ時遺言しない。鳥や松の木も死ぬ時遺言しない。遺言するのは人間だけである。死ぬ時自分以外に他あるを顧みて其処に何か責任上の一言を遺して置く。これ人間が万物の霊長たる由縁であらう。
毎年正月元日に筆を改めて遺言状を書き直すといふ用意周到の人が僕の知つてる範囲で二人ある。然も二人共可成り永生きの方なので何通書き直したか判らぬ。年々そう書き直す必要があるだらうかと訊いたら一人は『葬儀車だつて年々進化するだらう?』一人は『年々遺言状の思想が旧くなつて行くから』といつた。二人共遺言状を書く真剣さを用ゐて自分の魂をあらため験るのだつた。中々ずるい。
禅の方で遺言の詩を遺偈といふのだがこれには大概型がある。生涯の間、一秒間も三昧から外れた事も無く一生涯も一爪弾きの間も同じだつた、と自分の悟境を述べたものがその一である。徒に眠り徒に食ひ戯れの世の中を戯れに終つたと自嘲めく口調で述べたものがその一である。自嘲めくとは雖もやはりその裏に悟の心境を誇示してゐる事は勿論である。もう一つは死の世界に入つて行く態度を示したものである。地獄も天堂も総に踏み破り去らんといふやうな調子のものである。
右からみるとずつと離れて、全く凡夫の心に立帰つて遺偈を示した僧もある。近世では釈宗演氏なぞがそうである。『死に度く無い/\』といつて死んで行く臨終の仕方である。これも幾多の前例はあるが可成り洒脱のものとみられて居る。
桃水和尚は凡夫に如同する事に於て可成り垢抜けしたところまで行つたがそれでも臨終に鷹峯風清月白とか何とかいふ遺偈を遺し片鱗を露してる。
遺言といふとすぐ芭蕉が門下に遺言の句を訊かれて平常の句みな遺言の句にあらざるなしといつたのを思ひ出すが前掲数項の遺言の仕方やこの詩人の遺言に対する態度やはあまり立優り過ぎ模範的過ぎてわれ等にはピッタリ来ない。
死に際には病苦や人生に対する愛惜の念やでわれ等凡人はとんだ考になつたり逆に反抗的に気取つて見たりしてとても本当の事は述べられまいと思ふ。よつて平常死後の事は洗ひざらゐ喋つてしまつて置く方がよいと思ふ。そして死病にかゝつた後にいふ事は取り上げないやうに近親に頼んで置くのがよいと思ふ。
遺言といふと却つて改つた気になつて考への平康を失ひはしまひかと思ふ。
死ぬ人でよく家の家憲を定めたりなぞしてその為め家といふ形骸は遺命の力で何代か保つか知れないが家の内容の人間の生命は試錬される機会が少なくなり死物になる事が多い。これは家憲を定めるより人憲を定めた方がいゝ。先祖の中で自分は家系中の巨石だと信じた人は自分の善悪両面の体験を書き遺し子孫の実力生活の参考にするがよい。
凡人としてはそう遺言はくどくあるものではないと思ふ。自分で自慢して書き遺す程の生活も思想も持たなかつたし、子孫を導く程のそれも持つてるとは自信…