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半七捕物帳
はんしちとりものちょう
作品ID1296
副題66 地蔵は踊る
66 じぞうはおどる
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「時代推理小説 半七捕物帳(六)」 光文社時代小説文庫、光文社
1986(昭和61)年12月20日
入力者tatsuki
校正者瀬戸さえ子
公開 / 更新2001-03-30 / 2014-09-17
長さの目安約 42 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 ある時、半七老人をたずねると、老人は私に訊いた。
「あなたに伺ったら判るだろうと思うのですが、几董という俳諧師はどんな人ですね」
 時は日清戦争後で、ホトトギス一派その他の新俳句勃興の時代であたから、わたしもいささかその心得はある。几董を訊かれて、わたしはすぐに答えた。彼は蕪村の高弟で、三代目夜半亭を継いだ知名の俳人であると説明すると、老人はうなずいた。
「そうですか。実はこのあいだ或る所へ行きましたら、そこへ書画屋が来ていて、几董の短冊というのを見せていました。わたくしは俳諧の事なぞはぼんくらで、いっさい判らないのですが、その短冊の句だけは覚えています」
「なんという句でした」
「ええと……、誰が願ぞ地蔵縛りし藤の花……。そんな句がありますかえ」
「あります。たしかに几董の句で、井華集にも出ています。おもしろい句ですね」
「わたくしのような素人にも面白いと思われました」と、老人はほほえんだ。「縛られ地蔵を詠んだ句でしょうが、俳諧だから風流に藤の花と云ったので、藤蔓で縛るなぞはめったに無い。みんな荒縄で幾重にも厳重に引っくくるのだから、地蔵さまも遣り切れません。なにかの願掛けをするものは、その地蔵さまを縛って置いて、願が叶えば縄を解くというわけですから、繁昌する地蔵さまは年百年じゅう縛られていなければなりません。それが仏の利生方便、まことに有難いところだと申します」
「どの地蔵さまを縛ってもいいんですか」
「いや、そうは行かない。むやみに地蔵さまを縛ったりしては罰があたる。縛られる地蔵さまは『縛られ地蔵』に限っているのです。縛られ地蔵は諸国にあるようですが、江戸にも二、三カ所ありました。中でも、世間に知られていたのは小石川茗荷谷の林泉寺で、林泉寺、深光寺、良念寺、徳雲寺と四軒の寺々が門をならべて小高い丘の上にありましたが、その林泉寺の門の外に地蔵堂がある。それを茗荷谷の縛られ地蔵といって、江戸時代には随分信仰する者がありました。地蔵さまの尊像は高さ三尺ばかりで、三間四方ぐらいのお堂のなかに納まっていましたから、雨かぜに晒されるようなことは無かったのですが、荒縄で年中ぐいぐいと引っくくられるせいでしょう、石像も自然に摺れ損じて、江戸末期の頃には地蔵さまのお顔もはっきりとは拝めないくらいに磨滅していました。林泉寺には門前町もあって、ここらではちょっと繁昌の所でしたが……」
 何事をか思い泛かべるように、半七老人は薄く眼を瞑じた。それが老人の癖であると共に、なにかの追憶でもあることを私はよく知っていた。わたしは懐中の手帳をさぐり出して膝の上に置くと、その途端に老人は眼をあいた。
「あなたも気が早い。もう閻魔帳を取り出しましたな。あなたに出逢うと、こっちが縛られ地蔵になってしまいそうで。あはははは」
 地蔵縛りし藤の花――几董の句のおかげで、きょう…

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