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猿飛佐助
さるとびさすけ
作品ID1325
著者織田 作之助
文字遣い新字新仮名
底本 「織田作之助 名作選集4」 現代社
1956(昭和31)年5月20日
入力者生野一路
校正者浅原庸子
公開 / 更新2001-08-02 / 2014-09-17
長さの目安約 64 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

火遁巻

 千曲川に河童が棲んでいた昔の話である。
 この河童の尻が、数え年二百歳か三百歳という未だうら若い青さに痩せていた頃、嘘八百と出鱈目仙(千)人で狐狸かためた新手村では、信州にかくれもなき怪しげな年中行事が行われ、毎年大晦日の夜、氏神詣りの村人同志が境内の暗闇にまぎれて、互いに悪口を言い争ったという。
 誰彼の差別も容赦もあらあらしく、老若男女入りみだれて、言い勝ちに、出任せ放題の悪口をわめき散らし、まるで一年中の悪口雑言の限りを、この一晩に尽したかのような騒ぎであった。
 如何に罵られても、この夜ばかりは恨みにきかず、立ちどころに言い返して勝てば、一年中の福があるのだとばかり、智慧を絞り、泡を飛ばし、声を涸らし合うこの怪しげな行事は、名づけて新手村の悪口祭りといい、宵の頃よりはじめて、除夜の鐘の鳴りそめる時まで、奇声悪声の絶え間がない。
 ある年の晦日には、千曲川の河童までが見物に来たというが、それと知つてか知らずにか、
「やい、おのれは、千曲川の河童にしゃぶられて、余った肋骨は、鬼の爪楊子になりよるわい」
 と、一人が言えば、
「おのれは、鳥居峠の天狗にさらわれて、天狗の朝めしの菜になりよるわい」
 と、直ぐに言い返して、あとは入りみだれて、
「おのれは、正月の餠がのどにつまって、三カ日に葬礼を出しよるわい」
「おのれは、一つ目小僧に逢うて、腰を抜かし、手に草鞋をはいて歩くがええわい」
「おのれこそ、婚礼の晩にテンカンを起して、顔に草鞋をのせて、泡を吹きよるわい」
「おのれの姉は、元日に気が触れて、井戸の中で行水しよるわい」
「おのれの女房は、眼っかちの子を生みよるわい」
 などと、何れも浅ましく口拍子よかった中に、誰やら持病に鼻をわずらったらしいのが、げすっぽい鼻声を張り上げて、
「やい、そう言うおのれの女房こそ、鷲塚の佐助どんみたいな、アバタの子を生むがええわい」
 と呶鳴った。
 その途端、一人の大男が、こそこそと、然しノッポの大股で、境内から姿を消してしまったが、その男はいわずと知れた郷士鷲塚佐太夫のドラ息子の、佐助であった。

 佐助は、アバタ面のほかに人一倍強い自惚れを持っていた。
 その証拠に、六つの年に疱瘡に罹って以来の、医者も顔をそむけたというおのが容貌を、十九歳の今日まで、ついぞ醜いと思ったことは一度もなく、六尺三寸という化物のような大男に育ちながら、上品典雅のみやび男を気取って、熊手にも似たむくつけき手で、怪しげな歌など書いては、近所の娘に贈り、いたずらに百姓娘をまごつかせていたのである。
 ところが、ひとり、庄屋の娘で、楓というのが、歌のたしなみがあって、返歌をしたのが切っ掛けで、やがてねんごろめいて、今宵の氏神詣りにも、佐助は楓を連れ出していたのだ。
 それだけに、悪口祭の「佐助どんのアバタ面」云々の一言は一層こたえて、…

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