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![]() えきとてそう |
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作品ID | 1342 |
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著者 | 菊池 寛 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「日本の名随筆82 占」 作品社 1989(平成元)年8月25日 |
入力者 | 前野さん |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2002-12-18 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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自分が、易や手相のことを書くと笑う人がいるかも知れないが、自分が一生に一度見て貰った手相は、実によく適中した。
それは、時事新報社の記者をしている頃だった、久米が二十七歳前のことだから、十年近い昔である。久米と芥川と僕とで、晩食を共にした後でもあったろうか、湯島天神の境内を通るとき、彼処に出ている一人の易者に冗談半分に見て貰ったのである。むろん諸君も想像する通り、芥川だけは見て貰わなかった。私の手相の判断は、実によかった。私が三十を越してから、栄達し、一群の人の上に立つことを云い、金銭に不自由しないことを云い、その他身上に起る二三の事実を指摘した。当時貧乏でまだ文壇に出ることなどは、夢にも思っていなかった私は、悪いよりも良い判断を欣んだが、私が栄達するとか、金に不自由しなくなるなどとは、夢にも思っていなかった。それが、十年後の今日に、此の手相見の言葉が悉く適中したと云ってもいゝだろう。身上に起った事変なども、手相見の云う通りであった。
久米に対する判断も、性格技能を語る点では実によく適中した。たゞそのときは、二十七歳前の久米を、三十七歳前だと、見誤ったためすっかり我々の信用を害い、我々はその他の判断まで、馬鹿にしてしまったが、私に対する判断は実に悉く適中した。つい先頃も、久米に逢ったとき彼は『あのとき君の手相はよく当った』と、三嘆したほどである。
私は、此頃になって、手相があんなにまで当るものなら、少し学びたいとも思っている。茫漠たる人生の行路を思うとき、自分自身の運命について、おぼろげながらも知りたいと云う気がしている。先日も、岡栄一郎が座興に手相を見るのを見て、いよいよ手相を学びたいと思った。岡は、手相について多くを知らないが、その少しを学生時代の友人から学んだと云っている。その友人は、手相を専門に研究していたが、ある日自分の掌に肉親に不幸があるという兇相が現われたのである。駭いて帰郷の支度をしているとき、彼自身が喀血して死んだと云うのである。掌中の兇相は自分自身の身上であったことに気がつかなかったのである。その友人の死床に侍したと云う、岡の口からきけば、可なり凄壮な話である。私は、岡から、その話を聞いた翌日、たま/\その月の『文章倶楽部』を読むと、木村毅君の『手相』と云う小説が載っているので、読んで見ると作者即主人公が頗る手相学者なので、私は渡りに舟と未知の木村君に速達を出して、手相を教えてほしいと頼んだ。ところが、木村君の返事が、頗る心細いもので大に失望した。人間の運命が、掌中の紋様に現われるなど云うことは考えられないことであるが、しかし人間の身体についているものだけに、まだ易などよりは、信じられる。殊に私自身手相が当っているので手相が相当信じられるような気がするのである。
易は、私は一度見て貰った。それは数年前、郵便貯金の通帳を失くしたと…