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そり
作品ID1417
著者黒島 伝治
文字遣い新字新仮名
底本 「現代日本文學大系 56 葉山嘉樹・黒島傳治・平林たい子集」 筑摩書房
1971(昭和46)年7月15日
入力者大野裕
校正者Juki
公開 / 更新2000-12-07 / 2014-09-17
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 鼻が凍てつくような寒い風が吹きぬけて行った。
 村は、すっかり雪に蔽われていた。街路樹も、丘も、家も。そこは、白く、まぶしく光る雪ばかりであった。
 丘の中ほどのある農家の前に、一台の橇が乗り捨てられていた。客間と食堂とを兼ねている部屋からは、いかにも下手でぞんざいな日本人のロシア語がもれて来た。
「寒いね、……お前さん、這入ってらっしゃい。」
 入口の扉が開いて、踵の低い靴をはいた主婦が顔を出した。
 馭者は橇の中で腰まで乾草に埋め、頸をすくめていた。若い、小柄な男だった。頬と鼻の先が霜で赭くなっていた。
「有がとう。」
「ほんとに這入ってらっしゃい。」
「有がとう。」
 けれども、若い馭者は、乾草をなお身体のまわりに集めかけて、なるだけ風が衣服を吹き通さないようにするばかりで橇からは立上ろうとはしなかった。
 目かくしをされた馬は、鼻から蒸気を吐き出しながら、おとなしく、御用商人が出てくるのを待っていた。
 蒸気は鼻から出ると、すぐそこで凍てついて、霜になった。そして馬の顔の毛や、革具や、目かくしに白砂糖を振りまいたようにまぶれついた。

       二

 親爺のペーターは、御用商人の話に容易に応じようとはしなかった。
 御用商人は頬から顎にかけて、一面に髯を持っていた。そして、自分では高く止っているような四角ばった声を出した。彼は婦人に向っても、それから、そう使ってはならない時にでも、常に「お前」とロシア人を呼びすてにした。彼は、耳ばかりで、曲りなりにロシア語を覚えたのであった。
「戦争だよ、多分。」
 父親と商人との話を聞いていたイワンが、弟の方に向いて云った。
「いいや!」商人の眼は捷くかがやいた。「糧秣や被服を運ぶんだ。」
「糧秣や被服を運ぶのに、なぜそんなに沢山橇がいるんかね。」
 イワンが云った。
「それゃいるとも。――兵たいはみんな一人一人服も着るし、飯も食うしさ……。」
 商人は、ペーターが持っている二台の橇を聯隊の用に使おうとしているのであった。金はいくらでも出す、そう彼は持ちかけた。
 ペーターは、日本軍に好意を持っていなかった。のみならず、憎悪と反感とを抱いていた。彼は、日本人のために理由なしに家宅捜索をせられたことがあった。また、金は払うと云いつつ、当然のように、仔をはらんでいる豚を徴発して行かれたことがあった。畑は荒された。いつ自分達の傍で戦争をして、流れだまがとんで来るかしれなかった。彼は用事もないのに、わざわざシベリアへやって来た日本人を呪っていた。
 商人は、聯隊からの命令で、百姓の家へ用たしに行くたびに、彼等が抱いている日本人への反感を、些細な行為の上にも見てとった。ある者は露骨にそれを現わした。しかし、それは極く少数だった。たいていは、反感らしい反感を口に表わさず、別の理由で金を出してもこちら…

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