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パルチザン・ウォルコフ
パルチザン・ウォルコフ
作品ID1419
著者黒島 伝治
文字遣い新字新仮名
底本 「現代日本文學大系 56 葉山嘉樹・黒島傳治・平林たい子集」 筑摩書房
1971(昭和46)年7月15日
入力者大野裕
校正者柳沢成雄
公開 / 更新2001-08-24 / 2014-09-17
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 牛乳色の靄が山の麓へ流れ集りだした。
 小屋から出た鵝が、があがあ鳴きながら、河ふちへ這って行く。牛の群は吼えずに、荒々しく丘の道を下った。汚れたプラトオクに頭をくるんだ女が鞭を振り上げてあとからそれを追って行く。ユフカ村は、今、ようよう晨の眠りからさめたばかりだった。
 森の樹枝を騒がして、せわしい馬蹄の音がひびいてきた。蹄鉄に蹴られた礫が白樺の幹にぶつかる。馬はすぐ森を駈けぬけて、丘に現れた。それには羊皮の帽子をかむり、弾丸のケースをさした帯皮を両肩からはすかいに十文字にかけた男が乗っていた。
 騎馬の男は、靄に包まれて、はっきりその顔形が見分けられなかった。けれども、プラトオクに頭をくるんだ牛を追う女は、馬が自分の傍を通りぬける時、なつこい声をかけた。
「ミーチャ!」
「ナターリイ。」
 騎者の荒々しい声を残して、馬は、丘を横ぎり、ナターリイの前を矢のように走り抜けてしまった。
 暫らくすると、再び森の樹枝が揺れ騒ぎだした。そして、足並の乱れた十頭ばかりの馬蹄の音が聞えて来た。日本軍に追撃されたパルチザンが逃げのびてきたのだ。
 遠くで、豆をはぜらすような小銃の音がひびいた。
 ドミトリー・ウォルコフは、(いつもミーチャと呼ばれている)乾草がうず高く積み重ねられているところまで丘を乗りぬけて行くと、急に馬首を右に転じて、山の麓の方へ馳せ登った。そこには屋根の低い、木造の百姓家が不規則に建ち並んでいた。馬は、家と家との間の狭い通りへ這入って行った。彼は馬の速力をゆるくした。そして、静かに、そこらにある車や、木切れなどを蹴散らさないように用心しいしい歩んだ。栗毛の肉のしまった若々しい馬は全速力で馳せのがれて来たため、かなり疲れて、呼吸がはずんでいた。
 裏通りの四五軒目の、玄関とも、露台ともつかないような入口の作りつけられている家の前で、ウォルコフは、ひらりと身がるく馬からおりた。
 人々は、眠から覚めたところだった。白い粘土で塗りかためられた煙突からは、紫色の煙が薄く、かすかに立のぼりはじめたばかりだ。
 ウォルコフは、手綱をはなし、やわい板の階段を登って、扉を叩いた。
 寝室の窓から、彼が来たことを見ていた三十すぎのユーブカをつけた女は戸口へ廻って内から掛金をはずした。
「急ぐんだ、爺さんはいないか。」
「おはいり。」
 女は、居るというしるしに、うなずいて見せて、自分の身を脇の箱を置いてある方へそらし、ウォルコフが通る道をあけた。
「どうした、どうした。また××の犬どもがやって来やがったか。」
 一分間ばかりたつと、その戸口へよく肥った、頬の肉が垂れ、眉毛が三寸くらいに長く伸びている老人がチャンチャンコを着て出てきた。
「ワーシカがやられた。」
「ワーシカが?」
「…………。」
 ユーブカをつけた女は、頸を垂れ、急に改った、つつ…

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