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愚人の毒
ぐじんのどく
作品ID1454
著者小酒井 不木
文字遣い新字新仮名
底本 「大雷雨夜の殺人 他8編」 春陽文庫、春陽堂書店
1995(平成7)年2月25日
初出「改造」1926(大正15)年9月号
入力者大野晋
校正者しず
公開 / 更新2000-11-28 / 2014-09-17
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       1

 ここは××署の訊問室である。
 生ぬるい風が思い出したように、街路の塵埃を運び込むほかには、開け放たれた窓の効能の少しもあらわれぬ真夏の午後である。いまにも、柱時計が止まりはしないかと思われる暑さをものともせず、三人の洋服を着た紳士が一つの机の片側に並んで、ときどき扇を使いながら、やがて入ってくるはずの人を待っていた。
 向かっていちばん左に陣取った三人のうちいちばん若いのが津村検事で、額が広く目が鋭く髭がない。中央の白髪交じりの頭が藤井署長、署長の右に禿げた頭を金縁眼鏡と頬髯とで締め括ってゆったりと腰かけているのが、法医学者として名高いT大学医学部教授片田博士である。職務とは言いながら、片肌脱ぎたいくらいな暑さを我慢して滲み出る汗をハンカチに吸いとらせている姿を見たならばだれでも冗談でなしに、お役目ご苦労と言いたくなる。
 三人はいま、ある事件の捜査のために、有力な証人として召喚した人の来るのを待っているのである。厳密に言えば、その事件の捜査の首脳者である津村検事は、召喚した証人の訊問に立ち会ってもらうために、藤井署長と片田博士に列席してもらったのである。その証人は検事にとってはよほど重大な人であると見え、彼の顔面の筋肉がすこぶる緊張して見えた。ときどき頬のあたりがぴくりぴくりと波打つのも、おそらく気温上昇のためばかりではないであろう。訊問ということを一つの芸術と心得ている津村検事は、ちょうど芸術家が、その制作に着手するときのような昂奮を感じているらしいのである。これに反して、藤井署長は年齢のせいか、あるいはまた年齢と正比例をなす経験のせいか、いっこう昂奮した様子も見えず、ただその白い官服のみがいやにきらきらとしているだけである。まして、科学者である片田博士のでっぷりした顔には、いつもは愛嬌が漲っているに拘わらず、かような場所では底知れぬといってもよいような、沈着の不気味さが漂っているのであった。
 柱時計が二時を報ずると、背広の夏服を着た青年紳士が一人の刑事に案内されて入ってきた。右の手に黒革の折鞄、俗にいわゆる往診鞄を携えているのは、言わずと知れたお医者さんである。人間の弱点を取り扱う商売であるだけに、探偵小説の中にまで“さん”の字をつけて呼ばれるのである。が、この人すこぶる現代的で、かような場所に馴れているのか、往診鞄を投げるようにして机の下に置き、いたって軽々しい態度で三人に挨拶をしたところを見ると、もう“さん”の字をつけることはやめにしたほうがよかろう。
「山本さん、さあ、そちらへおかけください」
 と、検事はいつの間にか昂奮を静めて[#「静めて」は底本では「靜めて」]、にこにこしながら医師に向かって言った。
「この暑いのにご出頭を願ったのは申すまでもなく、奥田さんの事件について、あなたが生前故人を診察なさった関係上、二、三…

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