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死体蝋燭
したいろうそく
作品ID1456
著者小酒井 不木
文字遣い新字新仮名
底本 「怪奇探偵小説集1」 ハルキ文庫、角川春樹事務所
1998(平成10)年5月18日
入力者大野晋
校正者しず
公開 / 更新2000-11-07 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 宵から勢いを増した風は、海獣の飢えに吠ゆるような音をたてて、庫裡、本堂の棟をかすめ、大地を崩さんばかりの雨は、時々砂礫を投げつけるように戸を叩いた。縁板という縁板、柱という柱が、啜り泣くような声を発して、家体は宙に浮かんでいるかと思われるほど揺れた。
 夏から秋へかけての暴風雨の特徴として、戸内の空気は息詰まるように蒸し暑かった。その蒸し暑さは一層人の神経をいらだたせて、暴風雨の物凄さを拡大した。だから、ことし十五になる小坊主の法信が、天井から落ちてくる煤に胆を冷やして、部屋の隅にちぢこまっているのも無理はなかった。
「法信!」
 隣りの部屋から呼んだ和尚の声に、ぴりッと身体をふるわせて、あたかも、恐ろしい夢から覚めたかのように、彼はその眼を据えた。そうしてしばらくの間、返答することはできなかった。
「法信!」
 一層大きな和尚の声が呼んだ。
「は、はい」
「お前、御苦労だが、いつものとおり、本堂の方を見まわって来てくれないか」
 言われて彼はぎくりとして身をすくめた。常ならば気楽な二人住まいが、こうした時にはうらめしかった。この恐ろしい暴風雨の時に、どうして一人きり、戸締まりを見に出かけられよう。
「あの、和尚様」
 と、彼はやっとのことで、声をしぼり出した。
「なんだ」
「今夜だけは……」
「ははは」
 と、和尚の哄笑いする声が聞こえた。
「恐ろしいというのか。よし、それでは、わしもいっしょに行くから、ついて来い」
 法信は引きずられるようにして和尚の部屋にはいった。
 いつの間に用意したのか、書見していた和尚は、手燭の蝋燭に火を点じて、先に立って本堂の方へ歩いて行った。五十を越したであろう年輩の、蝋燭の淡い灯によって前下方から照し出された瘠せ顔は、髑髏を思わせるように気味が悪かった。
 本堂にはいると、灯はなびくように揺れて、二人の影は、天井にまで躍り上がった。空気はどんよりと濁って、あたかも、はてしのない洞穴の中へでも踏みこんだように感ぜられ、法信は二度と再び、無事では帰れないのではないかという危惧の念をさえ起こすのであった。
 正面に安座まします人間大の黒い阿弥陀如来の像は、和尚の差し出した蝋燭の灯に、一層いかめしく照し出された。和尚が念仏を唱えて、しばらくその前に立ちどまると、金色の仏具は、思い思いに揺れる灯かげを反射した。香炉、燈明皿、燭台、花瓶、木刻金色の蓮華をはじめ、須弥壇、経机、賽銭箱などの金具が、名の知れぬ昆虫のように輝いて、その数々の仏具の間に、何かしら恐ろしい怪物、たとえば巨大な蝙蝠が、べったり羽をひろげて隠れているかのように思われ、法信の股の筋肉は、ひとりでにふるえはじめた。
 和尚は再び歩き出したが、さすがの和尚にも、その不気味さは伝わったらしく、前よりも速めに進んで、ひととおり戸締まりを見まわると、蒼白い顔をしてほッとしたか…

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