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作品ID | 1462 |
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著者 | 小島 烏水 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「日本の名随筆17 春」 作品社 1984(昭和59)年3月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 大野晋 |
公開 / 更新 | 2004-11-05 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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市街に住まっているものの不平は、郊外がドシドシ潰されて、人家や製造場などが建つことである、建つのは構わぬが、ユトリだとか、懐ろぎだとかいう気分が、亡くなって、堪まらないほど窮屈になる、たとえやにこくても、隙間もなく押し寄せた家並びを見ていると、時々気が詰まる、もし人家の傍に、一寸した畠でもあれば、それが如何に些細なものであっても、何だか緩和されるような気になる、そうして庭園のように、他所行きの花卉だの、「見てくれ」の装飾だのがしてないところに、又しようとも思わない無造作のところに、思いさま両手を伸ばして欠びでもするような気持になれる。
少なくとも、市街は接近した、もしくは市街を前景とした畠は、野菜を作って、食膳に供給するという実用的の意味に於てよりも、人間と人間との間に踏み固められない、柔かい黒い土を割り込ませて、庇の連続や、肱の突き合いを緩和させるという点だけで、保存して置きたく思う、そういう意味で、保存するとなれば、何も月末の八百屋の払いを、幾分か助けるつもりで、胡瓜や茄子を作る必要はない、黒土のままで残して置いて、春の温気が土のかおりを蒸し上げるのを、ぼんやり眺めていてもいいのであるが、それではあまりサッパリし過ぎるから、春ならば先ず私は、何を置いても、そこに菜の花を観たい。
春の花の中でも、私はなぜか、梅や桜や、董だの蒲公英だのよりも、その他の何よりも、菜の花に執着を持つ、少年の時代から、この花が好きで、野外遠足は、菜の花の多そうなところを選んで歩いたものだ、今でも春の景色と云うと、菜の花のそれが眼に浮ぶ、菜の畑の中に跼んで、虻のブンブン呻るのを聴きながら、本を読んだり、所謂「空想」に耽ったりしたこともある(その時分は至ってセンチメンタルな気分を悦んだものだ、今でもとかく脱け切らないが)、東海道藤沢の松並木の間から、菜の花の上に泛ぶ富士山を、おもしろい模様画に見立てて、富士山と菜の花の配合などを考えたことがある、中にも私の好む菜の花の場所は、相模大山の麓、今は烟草の産地として名高い秦野付近で、到るところ黄の波を列ねていた――併し此頃往って見たら、それも大方桑畑などに変って、今じゃあ夢になった、近頃は不思議なほど、菜の花が郊外から影を隠した、物価も租税も高くなって、菜種の油などを、搾っていては、割に合わぬから、もっと金の儲かるものを植えるのに、何も不思議はないが、私は何だか、夢を喰われたような気がする。
関西地方は知らず、東京横浜間や、その付近の郊外では、今では菜の花を見ると、珍しく振り返るほどだ、そうやって振り返るのも、私ぐらいなものかも知れない、大阪の郊外に住んでいる友人画家織田一磨氏は、「大阪付近では、到るところに金色をした菜の花の光が、太陽の光線を反射している、菜の花の盛りの時は、総べての物が、皆黄色となる、反射光線の強いのは、ちょうど…