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槍ヶ岳第三回登山
やりがたけだいさんかいとざん |
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作品ID | 1463 |
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著者 | 小島 烏水 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「日本の名随筆10 山」 作品社 1983(昭和58)年6月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 林幸雄 |
公開 / 更新 | 2003-06-05 / 2016-01-19 |
長さの目安 | 約 11 ページ(500字/頁で計算) |
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雨で閉じこめられた、赤沢小舎の一夜が明ける。前の日、常念岳から二の股を下りて、私たちの一行より早く、この小舎に着いていられた冠君は、今朝も早く仕度を済まされ、「お先へ」と言って、人夫どもを連れて出て行かれる、「若い衆天幕取れやい」と嘉門次の号令がかかる、天幕を組み立てた糸がスルスルと手繰られて、雫のポタポタする重い油紙が、跪まずくように岩盤の上に折り重なる、飯を炊いだあとの煙が、赤樺の梢を絡んで、心臓形に尖った滑らかな青葉を舐めて、空へ[#挿絵]って行く、その消えぎえの烟の中から、人夫が一人ずつ、荷をしょっては、ひょッくり、あらわれる、嘉門次の愛犬「コゾー」もこの登山隊の一員として交っている。
嘉門次が一行の案内を務めるのは、言うまでもない、雨でグッショリ濡れた青草や、仆れている朽木からは、人の嗅覚をそそるような古い匂いがして、噎びそうだ、足が早いので、一丁も先になった嘉門次は、私を振り返って「他所の人足は使いづらくて困る」とブツブツ言いながら、赤石の河原に出た。
見上げる限り、花崗の岩壁が聳えて、その壁には白い卓子懸けのような雪が、幾反も垂れている、若緑の樺の木は、岩壁の麓から胸まで、擦り切れるようになった枝を張りつめて、その間から白雪が、細い斑を引いている、この川は小舎のうしろへ流れ落ちるのだそうだ、水から飛び上った鶺鴒が、こっちを見ていたが、人が近づいたので、ついと飛ぶ、大石の上には水で描いた小さな足痕が、紋形をして、うす日に光っている。
馬場平(宛字)というところへ来ると、南北の両側に、雪が築き上げられたように多くて、高さは一丈もあろう、それが表面は泥で帆木綿のように黒くなっているが、その鍵裂きの穴からは、雪の生地が梨の肌のように白く、下は解けて水になっている、その水の流れて行くところは、雪の小さい峡間を開いて、ちょろちょろと音をさせている。
右の方を仰ぐと、赤沢岳が無器用な円頂閣のように、幅びろく突ッ立って、その花崗岩の赤く禿げた截断面が、銅の薬鑵のような色をして、冷めたく荒い空気に煤ぶっている。
雪は次第に厚く、幅が闊く、辷りもするので、人の鳶口に扶けられて上った、雪のおもては旋風にでも穿り返された跡らしく、亀甲形の斑紋が、おのずと出来ている、その下には雪解の蒼白い水が、澄みわたって、雪の崖から転げ落ちたらしい大石に、突き当って二派に分れ、呟きながら走って行く、大きな削り板のような雪が、継ぎ目から二ツに截り放されたようになって、平行に裂けて口を明けているのもある。
顧れば峡間から東方の霞沢岳連峰の木山には、どす玄い雨雲が、甘藍の大葉を巻いたように冠ぶさって、その尖端が常念一帯の脈まで、包んで来ている、雪の峡流は碧い石や黄な石をひたして、水嵩も多くなって、樺青く雪白い間を走って行くのが、遙かに瞰下されて、先は森林の底に没している。
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