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名人長二
めいじんちょうじ |
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作品ID | 1489 |
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著者 | 三遊亭 円朝 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「圓朝全集 巻の九」 近代文芸資料複刻叢書、世界文庫 1964(昭和39)年2月10日 |
入力者 | 小林繁雄 |
校正者 | かとうかおり |
公開 / 更新 | 2000-10-31 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 136 ページ(500字/頁で計算) |
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序
三遊亭圓朝子、曾て名人競と題し画工某及女優某の伝を作り、自ら之を演じて大に世の喝采を博したり。而して爾来病を得て閑地に静養し、亦自ら話術を演ずること能わず。然れども子が斯道に心を潜むるの深き、静養の間更に名人競の内として木匠長二の伝を作り、自ら筆を採りて平易なる言文一致体に著述し、以て門弟子修業の資と為さんとす。今や校合成り、梓に上せんとするに当り、予に其序を需む。予常に以為く、話術は事件と人物とを美術的に口述するものにして、音調の抑揚緩急得て之を筆にすること能わず、蓋し筆以て示すを得るは話の筋のみ、話術其物は口之を演ずるの外亦如何ともすること能わずと。此故に話術家必しも話の筋を作為するものにあらず、作話者必しも話術家にあらざるなり。夫れ然り、然りと雖も話術家にして巧に話の筋を作為し、自ら之を演ぜんか、是れ素より上乗なる者、彼の旧套を脱せざる昔話のみを演ずる者に比すれば同日の論にあらず。而して此の如きは百歳一人を出すを期すべからず。圓朝子は其話術に堪能なると共に、亦話の筋を作為すること拙しとせず。本書名人長二の伝を見るに立案斬新、可笑あり、可悲あり、変化少からずして人の意表に出で、而かも野卑猥褻の事なし。此伝の如きは誠に社会現時の程度に適し、優に娯楽の具と為すに足る。然れども是れ唯話の筋を謂うのみ。其話術に至りては之を演ずる者の伎倆に依りて異ならざるを得ず。門弟子たるもの勉めずんばあるべけんや。若し夫れ圓朝子病癒ゆるの日、親しく此伝を演せば其妙果して如何。長二は木匠の名人なり、圓朝子は話術の名人なり、名人にして名人の伝を演す、其霊妙非凡なるや知るべきのみ。而して聴衆は話の主人公たる長二と、話術の演術者たる圓朝子と、両々相対して亦是れ名人競たるを知らん。
乙未初秋
土子笑面識
[#改ページ]
一
これは享和二年に十歳で指物師清兵衛の弟子となって、文政の初め廿八歳の頃より名人の名を得ました、長二郎と申す指物師の伝記でございます。凡そ当今美術とか称えまする書画彫刻蒔絵などに上手というは昔から随分沢山ありますが、名人という者はまことに稀なものでございます。通常より少し優れた伎倆の人が一勉強いたしますと上手にはなれましょうが、名人という所へはたゞ勉強したぐらいでは中々参ることは出来ません。自然の妙というものを自得せねば名人ではございません。此の自然の妙というものは以心伝心とかで、手を以て教えることも出来ず、口で云って聞かせることも出来ませんゆえ、親が子に伝えることも成らず、師匠が弟子に譲るわけにもまいりませんから、名人が二代も三代も続くことは滅多にございません。さて此の長二郎と申す指物師は無学文盲の職人ではありますが、仕事にかけては当時無類と誉められ、江戸町々の豪商はいうまでもなく、大名方の贔屓を蒙ったほどの名人で、其の拵えまし…