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初蛙
はつがえる
作品ID1522
著者薄田 泣菫
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆17 春」 作品社
1984(昭和59)年3月25日
入力者門田裕志
校正者大野晋
公開 / 更新2004-11-05 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    一

 古沼の水もぬるみ、蛙もそろそろ鳴き出す頃となりました。月がおぽろに、燻し銀のように沈んだ春の真夜なか時、静かな若葉の木かげに立ちながら、あてもなくじっと傾ける耳に伝わる仄かなおとずれ――
「くる……くる……くる……」
 と、古沼の底から生れた水の泡が、円く沼の面に浮びあがったと思うと、そのまま爆ぜ割れるような、それによく似た物の音を聞きますと、
「ああ、もう初蛙が鳴いている……」
 と、誰でもがすぐに気付こうというものです。
 私はあの初蛙の鳴き声が好きです。寒い冬の間のながい夢からさめて、これから思う存分軽噪ごうというその前に、あっちでも、こっちでも、さも四辺の立聞をでも気づかうように、そっと内証で声試しをしているあの音を聞きますと、ちょうど土塊をおし分けて、むっくり頭をもち上げた早蕨か菌かを見るような、無邪気と悪戯っ気とが味わわれます。それは小っぽけな、知恵と元気とに充ちた地の精霊の無邪気と悪戯っ気とです。博識なイソップや、人の悪いアリストファネスが見ていようと、怠け者の小野道風が立っていようと、貧乏詩人の芭蕉庵の主人が聞いていようと、そんな事には少しの頓着もなく、素っ裸の濡れ身のままで柳の枝でぶらんこをしたり、背から腹にかけて砂まみれになったまま、飜斗うって古池に飛び込んだりするのは、この無邪気と悪戯っ気とがさせる業です。蛙にはお腹に臍がありません。それだのに臍ばかしか、おまけに良心までも持っているかのように無遠慮に振舞うのです。地の精霊でなくって何うしてあんな悪ふざけと無遠慮とが出来るものでしょう。大きな口と下っ腹とを御覧なさい。地から生れた食意地の張った大食漢でなくって、誰があんなものを持っているでしょう。実際あの大きな口と、十二人の子供でも生んだらしい、だぶだぶの下っ腹とは、蛙にとっては掛け替のない宝なのです。性格なのです。本能なのです。霊魂そのものなのです。
 蛙のあのすばらしい口と腹とについて、マアク・トエンの面白い短篇小説があります。一寸その荒筋を話してみましょう。
 ある所にスマイリイという男がありました。生れつきの博奕好きで、小鳥が二羽立木にとまっているのを見ると、どっちが早く飛ぶだろうかと、すぐ賭を工夫するといった風な、好きな博奕のためにはどんな機会をでも発見する事の出来る男でした。.
 この男が蛙を飼っていました。丹精して仕込まれただけあって、蛙は飛ぶ事がひどく得意で、この男の指が一寸お尻をこづくと、ゴム鞠のように跳上って、機みがよかったら途中で二三度とんぼ返りまでして見せました。とりわけ上手なのは幅飛で、この道にかけたらどんな蛙にも負けないだけの技倆を持っていました。スマイリイはこの蛙のお蔭で少からぬ金儲けをしたので、いつもカナリヤ籠に入れて、持ち歩いていました。
 ある時、この都に見当らない男が、通りすがりにこの…

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