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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
作品ID1546
副題01 私の父祖のはなし
01 わたしのふそのはなし
著者高村 光雲
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者山田芳美
校正者土屋隆
公開 / 更新2006-02-24 / 2016-01-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 まず、いろいろの話をする前に、前提として私の父祖のこと、つまり、私の家のことを概略話します。
 私の父は中島兼松といいました。その三代前は因州侯の藩中で中島重左エ門と名乗った男。悴に同苗長兵衛というものがあって、これが先代からの遺伝と申すか、大層美事な髯をもっておった人物であったから、世間から「髯の長兵衛」と綽名されていたという。その長兵衛の子の中島富五郎になって私の家は全くの町人となりました。

 富五郎の子が兼松、これが私の父であります。父の家は随分と貧乏でありました。これは父が道楽をしたためとか、心掛けが悪かったとかいうことからではありません。全く心柄ではないので、父の兼松は九歳の時から身体の悪い父親の一家を背負って立って、扶養の義務を尽くさねばならない羽目になったので、そのためとうとうこれという極まった職業を得ることも出来ずじまいになったのであります。父としては種々の希望もあったことでありましょうが、つまり幼年の時から一家の犠牲となって生活に追われたために、習い覚えるはずのことも事情が許さず、取り纏まったものにならなかったことでありました。
 祖父に当る富五郎は八丁堀に鰻屋をしていたこともありました。その頃は遊芸が流行で、その中にも富本全盛時代で、江戸市中一般にこれが大流行で、富五郎もその道にはなかなか堪能でありましたが、わけて総領娘は大層上手でありました。父娘とも芸事が好き上手であったから自然その道の方へ熱心になり、娘は十か十一の時、もう諸方の御得意から招かれて、行く末は一廉の富本の名人になろうと評判された位でありました。親の富五郎も鼻高々で楽しんでおりましたが、ふと、或る年悪性の疱瘡に罹って亡くなってしまいました。そのため富五郎は悉皆気を落としてしまい、気の狭い話だが、自暴を起して、商売の方は打っちゃらかして、諸方の部屋へ行って銀張りの博奕などをして遊人の仲間入りをするというような始末になって、家道は段々と衰えて行ったのでありました。
 しかし、この富五郎という人は極気受けの好い人で、大層世間からは可愛がられたといいます。やがて、家業を変えて肴屋を始め、神田、大門通りのあたりを得意に如才なく働いたこともありますが、江戸の大火に逢って着のみ着のままになり、流れて浅草の花川戸へ行き、其所でまた肴屋を初めたのでありました。
 花川戸の方も、所柄、なかなか富本が流行りまして、素人の天狗連が申し合せ、高座をこしらえて富本を語って大勢の人に聞かせている(素人が集まって語り合うことをおさらいという。これに月さらい、大さらいとある)。根が好きでもあり、上手でもあった富五郎がこの連中へ仲間入りをしたことは道理な話……ところが富五郎が高座に出ると、大層評判がよろしく、「肴屋の富さんが出るなら聞きに行こう」というようなわけでした。このおさらいは下手な者が先に語る。多…

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