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作品ID | 1551 |
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副題 | 06 高村東雲の生い立ち 06 たかむらとううんのおいたち |
著者 | 高村 光雲 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店 1995(平成7)年1月17日 |
入力者 | 山田芳美 |
校正者 | 土屋隆 |
公開 / 更新 | 2006-02-26 / 2016-01-18 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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そこで、これから師東雲先生の生い立ちを話します。
東雲師は元奥村藤次郎といった人で、前述の通り下谷北清島長(源空寺門前)の生まれである。その師匠が当時江戸で一、二を争うところの仏師高橋法眼鳳雲という有名な人でありますが、この人のことは別に改めて話すことにする。
東雲師の姓の奥村氏が後に至って高村となり、藤次郎が東雲と号したことについては所以のあることで、この東雲という人は非常な師匠思い……したがって正直律義であり、製作にかけてもなかなか優れている所からして、師匠鳳雲の気にも入っておりました。お決まりの十一年の年季も立派に勤め上げ、さて、これから東雲は師匠と別れて、別に一人前として世に立って行くことになりましたから、その別るるに際し、日頃から特に師匠思いの東雲師のこと故、謹んで申し出づるは、「さて、師匠、私も御丹精によってようやく一人前の仏師と相成りましたが、お別れに臨み御高恩を幾久しく記念致したいと存じますによって、何卒か師匠のお名の一字をお貰い致したい」と申しました。
「それはいと安いこと、然らば鳳雲の雲をお前に上げよう。藤次郎の藤を東に通わせて、今後東雲と名乗ったがよかろう」とのことに、東雲はよろこび、なお、言葉を亜ぎ、
「お言葉に甘えるようでございますが、おついでに、師匠の姓の一字をもお貰い致したい。高橋の高を頂いて旧姓奥村の奥と代え高村と致し、高村東雲は如何でございましょう」という。「それは面白い。差し閊えない。それがよかろう」ということになって奥村藤次郎はそこで高村東雲となって仏師として世に現われたのでありました。
その頃は戸籍のことなども、至極自由であったから、姓を変じても、別にやかましくいわれもしませんでした。
さて、東雲師は、いよいよこの名前で浅草蔵前の森田町へ店を出しました。すなわち仏師の職業を開いたのである。
東雲師はまだその頃は独身であった。兄が一人あり、名を金次郎という。この人は野村源光の弟子です(源光のことも、いずれ別に話します)。金次郎はなかなか腕の出来た人であったが、仏を彫刻することは不得手であって、仏に附属するところの、台座とか、後光とかいうようなものの製作が美事であった。で、東雲師が仏の能く出来るのへ、ちょうど好い調和となって店の仕事にはかえって都合がよかった。姉さんが一人、お悦といって後家を通した人(後に私の養母である)、この人が台所をやるという風で、姉弟三人水入らずで平和に睦まじくやっていたのであります。
ところで、この蔵前という土地は、江戸でも名代な場所――此所には徳川家の米蔵が並んでいる。天王橋寄りが一ノ口、森田町の方が中ノ口、八幡町に寄って三ノ口と三ツ門があって、米の出し入れをして、相場も此所できまる。浅草寺に向って右側で、御蔵の裏が直ぐ大川になっており、蔵屋敷の中まで掘割になって船がお蔵の前に着くよ…