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思ひ出
おもいで
作品ID1574
著者太宰 治
文字遣い旧字旧仮名
底本 「太宰治全集2」 筑摩書房
1998(平成10)年5月25日
初出一章「海豹 第一巻第二号」1933(昭和8)年4月1日<br>二章「海豹 第一巻第四号」1933(昭和8)年6月1日<br>三章「海豹 第一巻第五号」1933(昭和8)年7月1日
入力者赤木孝之
校正者小林繁雄
公開 / 更新2004-04-22 / 2016-02-23
長さの目安約 62 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一章

 黄昏のころ私は叔母と並んで門口に立つてゐた。叔母は誰かをおんぶしてゐるらしく、ねんねこを着て居た。その時の、ほのぐらい街路の靜けさを私は忘れずにゐる。叔母は、てんしさまがお隱れになつたのだ、と私に教へて、生き神樣、と言ひ添へた。いきがみさま、と私も興深げに呟いたやうな氣がする。それから、私は何か不敬なことを言つたらしい。叔母は、そんなことを言ふものでない、お隱れになつたと言へ、と私をたしなめた。どこへお隱れになつたのだらう、と私は知つてゐながら、わざとさう尋ねて叔母を笑はせたのを思ひ出す。
 私は明治四十二年の夏の生れであるから、此の大帝崩御のときは數へどしの四つをすこし越えてゐた。多分おなじ頃の事であつたらうと思ふが、私は叔母とふたりで私の村から二里ほどはなれた或る村の親類の家へ行き、そこで見た瀧を忘れない。瀧は村にちかい山の中にあつた。青々と苔の生えた崖から幅の廣い瀧がしろく落ちてゐた。知らない男の人の肩車に乘つて私はそれを眺めた。何かの社が傍にあつて、その男の人が私にそこのさまざまな繪馬を見せたが私は段々とさびしくなつて、がちや、がちや、と泣いた。私は叔母をがちやと呼んでゐたのである。叔母は親類のひとたちと遠くの窪地に毛氈を敷いて騷いでゐたが、私の泣き聲を聞いて、いそいで立ち上つた。そのとき毛氈が足にひつかかつたらしく、お辭儀でもするやうにからだを深くよろめかした。他のひとたちはそれを見て、醉つた、醉つたと叔母をはやしたてた。私は遙かはなれてこれを見おろし、口惜しくて口惜しくて、いよいよ大聲を立てて泣き喚いた。またある夜、叔母が私を捨てて家を出て行く夢を見た。叔母の胸は玄關のくぐり戸いつぱいにふさがつてゐた。その赤くふくれた大きい胸から、つぶつぶの汗がしたたつてゐた。叔母は、お前がいやになつた、とあらあらしく呟くのである。私は叔母のその乳房に頬をよせて、さうしないでけんせ、と願ひつつしきりに涙を流した。叔母が私を搖り起した時は、私は床の中で叔母の胸に顏を押しつけて泣いてゐた。眼が覺めてからも、私はまだまだ悲しくて永いことすすり泣いた。けれども、その夢のことは叔母にも誰にも話さなかつた。
 叔母についての追憶はいろいろとあるが、その頃の父母の思ひ出は生憎と一つも持ち合せない。曾祖母、祖母、父、母、兄三人、姉四人、弟一人、それに叔母と叔母の娘四人の大家族だつた筈であるが、叔母を除いて他のひとたちの事は私も五六歳になるまでは殆ど知らずにゐたと言つてよい。廣い裏庭に、むかし林檎の大木が五六本あつたやうで、どんよりと曇つた日、それらの木に女の子が多人數で昇つて行つた有樣や、そのおなじ庭の一隅に菊畑があつて、雨の降つてゐたとき、私はやはり大勢の女の子らと傘さし合つて菊の花の咲きそろつてゐるのを眺めたことなど、幽かに覺えて居るけれど、あの女の…

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