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食通
しょくつう |
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作品ID | 1597 |
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著者 | 太宰 治 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「太宰治全集10」 ちくま文庫、筑摩書房 1989(平成元)年6月27日 |
初出 | 「博浪沙 第七巻第一号」1942(昭和17)年1月5日 |
入力者 | 土屋隆 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2005-04-23 / 2016-07-12 |
長さの目安 | 約 2 ページ(500字/頁で計算) |
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食通というのは、大食いの事をいうのだと聞いている。私は、いまはそうでも無いけれども、かつて、非常な大食いであった。その時期には、私は自分を非常な食通だとばかり思っていた。友人の檀一雄などに、食通というのは、大食いの事をいうのだと真面目な顔をして教えて、おでんや等で、豆腐、がんもどき、大根、また豆腐というような順序で際限も無く食べて見せると、檀君は眼を丸くして、君は余程の食通だねえ、と言って感服したものであった。伊馬鵜平君にも、私はその食通の定義を教えたのであるが、伊馬君は、みるみる喜色を満面に湛え、ことによると、僕も食通かも知れぬ、と言った。伊馬君とそれから五、六回、一緒に飲食したが、果して、まぎれもない大食通であった。
安くておいしいものを、たくさん食べられたら、これに越した事はないじゃないか。当り前の話だ。すなわち食通の奥義である。
いつか新橋のおでんやで、若い男が、海老の鬼がら焼きを、箸で器用に剥いて、おかみに褒められ、てれるどころかいよいよ澄まして、またもや一つ、つるりとむいたが、実にみっともなかった。非常に馬鹿に見えた。手で剥いたって、いいじゃないか。ロシヤでは、ライスカレーでも、手で食べるそうだ。