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たより
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作品ID16028
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第三十巻」 新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日
入力者柴田卓治
校正者土屋隆
公開 / 更新2008-03-31 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 いきなり斯うした手紙をさしあげるのを御許し下さいませ。
 これを手に御取りなすって、貴方はきっとオヤオヤと御思いなさるでございましょうねえ。
 悪口を云い云いあっちこっち泳ぎ廻って居る私を思い出しなさる事でございましょう。
 今日の今まで私は今斯うやって貴方へのおたよりを書こうなどとは夢にも思って居りませんでした。
 けれども、夕暮にさえなりますと、私の心に夕栄の雲の様に様々な色と姿の思い出が湧きます中の一つが、とうとう斯うやって、筆をとらせたのでございます。
 お覚えでいらっしゃいましょう。
 冬の落日が木の梢に黄に輝く時、煉瓦校舎を背に枯草に座った私共が円くなって、てんでに詠草を繰って見た日を。
 安永先生が浪にゆられゆられて行く小舟の様に、ゆーらりゆーらりと体をまえうしろにゆりながら、十代の娘の様な傷的な響で、日中に見る夢の歌を誦していらっしゃった時、私の左の向うに座って居らっしゃった貴方がじいっと目を下に落して聞いていらっしゃいましたっけねえ。
 あの御姿が私の心をどうしてもはなれません。
 何かにつけて時々思い出されるのでございますよ。
 その静かな様子が今夕も私の心に帰って参りました。
 目を瞑るとあの細い声が再び私の耳にすべり込んで来る様でございます。
 そのおだやかな柔く心をなでて行く様な思い出は、私を、どうしても貴方への最初のお便りを書かねばならない様に致しました。どうぞおよみ下さいませ。
 まあ今晩のよい雨でございます事。
 私は、自分の四方を本箱とおもちゃでかこまれた書斎の中で心を浄めて行く様な雨だれの音をききながらそう思って居ります。
 荒れた土の肌もさぞ美くしく御化粧されて行く事でござんしょう。
 あれまあ、闇の中で木の葉の露が目の痛いほど輝いて居りますよ、何か物を申す様ですけれど私にはきこえませんの。
 雀の巣は濡らされませんでしたろうかねえ。
 毎日毎日重いのしかかる様な日がつづきましたので、昨日と今日の雨がどんなに私の心をすがすがしくさせてくれる事でございましょう。
 金の櫛をさして眼の細い土人形の姫だの、虫封じのお守りの小さい首人形をながめながら、しっとりと重い髪の毛のひだを撫でて居りますと、包まれた様に柔かな心の底から、何がなし光がさし出て来る様な気が致します。
 この上なくしずまった心で貴方様を思って居るのでございますよ。
 けれどもまあ考えて見ますとふしぎではござんせんか、毎日毎日お目にかかって居る時は、別にこれぞと云って、御なつかしくもお話ししたいとも思いませんでしたのにねえ。
 下らない事を云い合って、白い眼をして居る群からはなれて、悲しみの多い物しずかな目を御送りなさる貴方様がおしたわしいのでございますよ。
 悲しみと申しますものは尊いものでございます。
 目に堪えられぬ涙の熱さを知らぬ人は、神様が――私は神様…

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