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ひととき
ひととき
作品ID16029
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第三十巻」 新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日
入力者柴田卓治
校正者土屋隆
公開 / 更新2008-03-31 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 はるかな森の梢に波立って居るうす紅い夕栄の雲の峯を見入りながら、私は花園の入口の柱によりかかって居る。
 何となく朝から霧の晴れ切れない様な日だったので、非常に静寂な夕暮である。
 うす青い様な空気の中に素早い動作で游いで居るトンボと蝙蝠の幾匹かは、一層高いところを、東へ東へと行く白鳥の灰色の影の下に如何にも微妙な運動をしめして居る。
 つめたい風が渡って居そうに暗い木陰に、忘られた西洋葵の焔の様な花と、高々と聳え立って居る青桐の葉の黄金の網とが、眠りに落ち様とする沈んだ重い種々の者を目さめるまでに引きたてて、まだ虫の音のまばらな、ひると、よるとのとけ合った一時を、思い深げに飾って居る。
 くつろいだ心地になって、私は持って居た本の背をやさしくなでながら、斯う云う時に有り勝な、沈ついたどっちかと云えば悲しみのこもった気持で、はてしなくいろいろの事を思いふけった。

 永い間例え折々は気まずい思いをしあっても、自分の友達の一人として居たまだ若い人が廻復の望がないと云われた病にかかって居るときいてからはいつもいつもその事ばかりが思われてならない。
 額の広い、健な時はきれいだとは云われなかったその人がこの頃はああ云う病気特有のすき透るほど白い肌になって見違えるほどなよやかに美くしくなったとか、西洋人形の様に大きい眼に涙を一杯ためて居たとか云う事を、前から私より親しくして居た人々からきくと、ついつい涙を押えられなくなってしまう。
 何と云う痛ましい事かと思うと、彼の人の大まかな、おっとりした物ごしが一々目に見えて来る。
 根気が強くて、どんな細かしい事でもコツコツとやって居た。
 何だか生え際の薄い様な人であったがなどとも思われる。
 低いどっちかと云えば鼻に掛った声で、堪らなく可笑しい時には、上半身を後の方にのばして高笑をする様子が何だか中年の男の様な感じを与えたので、私はその人の笑声がすると注意して見て、面白いなと思って居たものだ。
 二十近くまで育って、頭の中も漸々まとまりかけ、体も熟して来た今になって、近い内に、そのすべてがこの地上から消滅して仕舞うのだと思うと、人々の記憶に残るほどの仕事も、短い年月の一生に仕あげられなかった彼の人の気持を察しないわけには行かない。
 神田の病院で、彼の人は何を思って居る事だろう。
 私が若し今、そう云う境遇になって、死の宣告まで与えられたら、自然にその日が来るのを待ちつづけて居るほどの勇悍な心はない。
 はげしい生の執着に悩んだ揚句は、気でも違ってしまうだろう。
 あきらめがないと云われても仕方がない。
 意気地がないとけなされもしようけれども、自分の一生の仕事を心嬉しく定めて、日々務めて居る。この希望の多い、栄ある一生を、どうしてそう素気なく思い切れよう。
 私が四十代にでもなったらどうかは知らないけれども、今の斯う…

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