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愛卿伝
あいけいでん
作品ID1639
著者田中 貢太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中国の怪談(一)」 河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日
入力者Hiroshi_O
校正者noriko saito
公開 / 更新2005-01-13 / 2014-09-18
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 胡元の社稷が傾きかけて、これから明が勃興しようとしている頃のことであった。嘉興に羅愛愛という娼婦があったが、容貌も美しければ、歌舞音曲の芸能も優れ、詩詞はもっとも得意とするところで、その佳篇麗什は、四方に伝播せられたので、皆から愛し敬われて愛卿と呼ばれていた。それは芙蓉の花のように美しい中にも、清楚な趣のあった女のように思われる。風流の士は愛卿のことを聞いて、我も我もと身のまわりを飾って狎れなずもうとしたが、[#挿絵]学無識の徒は、とても自分達の相手になってくれる女でないと思って、今更ながら己れの愚しさを悟るという有様であった。
 ある年のこと、それは夏の十六日の夜のことであった。県中の名士が鴛湖の中にある凌虚閣へ集まって、涼を取りながら詩酒の宴を催した。空には赤い銅盤のような月が出ていた。愛卿もその席へ呼ばれて、皆といっしょに筆を執ったがまたたくまに四首の詩が出来た。
画閣東頭涼を納る
紅蓮は白蓮の香しきに似かず
一輪の明月天水の如し
何れの処か簫を吹いて鳳凰を引く

月は天辺に出でて水は湖に在り
微瀾倒に浸す玉浮図
簾を掀げて姐娥と共に語らんと欲す
肯て霓裳一曲を数えんや無や

手に弄す双頭茉莉の枝
曲終って覚えず鬢雲の欹くことを
珮環響く処飛仙過ぐ
願わくは青鸞一隻を借りて騎らんことを

曲々たる欄干正々たる屏
六銖衣薄くして来り凭るに懶し
夜更けて風露涼しきこと如許ぞ
身は在り瑶台の第一層に
 愛卿の詩を見ると、もう何人も筆を持つ者がなかった。
 趙という富豪の才子があって、父親が亡くなったので母親と二人で暮していたが、愛卿の才色を慕うのあまり、聘物を惜まずに迎えて夫人とした。
 趙家の人となった愛卿は、身のとりまわしから言葉の端に至るまで、注意に注意を払い、気骨の折れる豪家の家事を遺憾なしに切りもりしたので、趙は可愛がったうえに非常に重んじて、その一言半句も聞き流しにはしなかった。
 趙の父親の一族で、吏部尚書となった者があって、それが大都から一封の書を送ってきたが、それには江南で一官職を授けるから上京せよと言ってあった。功名心の盛んな趙は、すぐ上京したいと思ったが、年取った母親のことも気になれば、愛卿を遺して往くことはなおさら気になるので、躊躇していた。
 愛卿は趙のそうした顔色を見て言った。
「私が聞いておりますのに、男の子の生れた時は、桑の弧と蓬の矢をこしらえて、それで天地四方を射ると申します、これは将来、男が身を立て、名を揚げて、父母を顕わすようにと祝福するためであります、恩愛の情にひかれて、功名の期を逸しては、亡くなられたお父様に対しても不孝になります、お母様のお世話は及ばずながら私がいたします、ただ、お母様はお年を召されておりますうえに、御病身でございますから、それだけはお忘れにならないように」
 趙は愛卿に激励せられて、意を決して上…

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