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![]() きょうだ |
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作品ID | 1649 |
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著者 | 田中 貢太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「中国の怪談(二)」 河出文庫、河出書房新社 1987(昭和62)年8月4日 |
入力者 | Hiroshi_O |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2004-12-03 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 16 ページ(500字/頁で計算) |
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孔雪笠は、孔子の子孫であった。人となりが風流で詩がうまかった。同じ先生に就いて学んでいた気のあった友達があって天台県の令となっていたが、それが手紙をよこして、来いと言ってきたので、はるばる往ったところで、おりもおりその友達の県令が亡くなった。孔生は旅費がないので帰ることもできず、菩陀寺という寺へ往って、そこの僧に傭われて書き物をした。
その寺の西の方四百余歩の所に単先生という人の邸宅があった。単先生はもと身分のある人の子であったが、大きな訴訟をやって、家がさびれ、家族も寡いところから故郷の方へ移ったので、その邸宅は空屋となっていた。
ある日、大雪が降って人どおりの絶えている時、孔生がその家の前を通っていると、一人の少年が出てきたが、その風采がいかにもあかぬけがしていた。少年は孔生を見ると趨ってきてお辞儀をした。孔生もお辞儀をして、
「ひどく降るじゃありませんか」
と言うと、少年は、
「どうかすこしお入りください」
と言った。孔生は少年の態度が気にいったので自分から進んで従いて入った。
家はそれほど広くはなかったが、室という室にはそれぞれ錦の幕を懸けて、壁の上には古人の書画を多く掲げてあった。案の上に一冊の書物があって標題を瑯環瑣記としてあった。開けて読んでみると今まで見た事のないものであった。孔生はその時少年の身分のことを考えて、単の[#「単の」は底本では「単に」]邸宅にいるからその主人であろうと思ったが、それがどうした閲歴の者であるかということは解らなかった。と、その時少年が、
「あなたは、どうした方です」
と言って孔生の来歴を訊いた。孔生がその事情を話すと少年は気の毒がって、
「では、塾を開いて生徒に教えたらどうです」
と言った。孔生はため息をして言った。
「旅烏ですから、何人も力になってくれる者がないのです、曹邱が季布をたすけたように」
すると少年が言った。
「私のような馬鹿者でも、おすてにならなければ、あなたのお弟子になりましょう」
孔生はひどく喜んで、
「いや、私は人の師になるほどの者じゃないのです、友達になりましょう」
と言って、それからあらためて訊いた。
「あなたの家は、久しいこと門を閉めているようですが、どうしたわけです」
すると少年が答えた。
「此所は単公子の家ですが、公子が故郷の方へ移ったものですから、久しい間空屋となっていたのです、僕は皇甫姓の者で、先祖から陝にいたのですが、今度家が野火に焼けたものですから、ちょっとの間此所を借りて住んでいるのです」
孔生はそこではじめて少年が単の家の者でないことを知った。
日が暮れても二人の話はつきなかった。そこで孔生は泊ることにして少年と榻をともにして寝たが、朝になってまだうす暗いうちに僮子が来て炭火を室の中で熾きだしたので、少年はさきに起きて内寝へ入ったが、孔生はまだ夜…