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黒髪
くろかみ
作品ID1676
著者近松 秋江
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の文学 8 田山花袋 岩野泡鳴 近松秋江」 中央公論社
1970(昭和45)年5月5日
入力者久保あきら
校正者松永正敏
公開 / 更新2001-06-04 / 2014-09-17
長さの目安約 48 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 ……その女は、私の、これまでに数知れぬほど見た女の中で一番気に入った女であった。どういうところが、そんなら、気に入ったかと訊ねられても一々口に出して説明することは、むずかしい。が、何よりも私の気に入ったのは、口のききよう、起居振舞いなどの、わざとらしくなく物静かなことであった。そして、生まれながら、どこから見ても京の女であった。もっとも京の女と言えば、どこか顔に締りのない感じのするのが多いものだが、その女は眉目の辺が引き締っていて、口元などもしばしば彼地の女にあるように弛んだ形をしておらず、色の白い、夏になると、それが一層白くなって、じっとり汗ばんだ皮膚の色が、ひとりでに淡紅色を呈して、いやに厚化粧を売り物にしているあちらの女に似ず、常に白粉などを用いぬのが自慢というほどでもなかったけれど……彼女は、そんな気どりなどは少しもなかったから……多くの女のする、手に暇さえあれば懐中から鏡を出して覗いたり、鬢をなおしたり、または紙白粉で顔を拭くとかいったようなことは、ついぞなく、気持ちのさっぱりとした、何事にでも内輪な、どちらかというと色気の乏しいと言ってもいいくらいの女であった。
 そして、何よりもその女の優れたところは、姿の好いことであった。本当の背はそう高くないのに、ちょっと見て高く思われるのは身体の形がいかにもすらりとして意気に出来ているからであった。手足の指の形まで、すんなりと伸びて、白いところにうす蒼い静脈の浮いているのまで、ひとしお女を優しいものにしてみせた。冬など蒼白いほど白い顔の色が一層さびしく沈んで、いつも銀杏がえしに結った房々とした鬢の毛が細おもての両頬をおおうて、長く取った髱が鶴のような頸筋から半襟に被いかぶさっていた。
 それは物のいい振りや起居と同じように柔和な表情の顔であったが、白い額に、いかつくないほどに濃い一の字を描いている眉毛は、さながら白沙青松ともいいたいくらい、秀でて見えた。けれど私に、いつまでも忘れられぬのはその眼であった。いくらか神経質な、二重瞼の、あくまでも黒い、賢そうな大きな眼であった。彼女は、決して、人に求めるところがあって、媚を呈したりして泣いたりなどするようなことはなかったけれど、どうかした話のまわり合わせから身の薄命を省みて、ふと涙ぐむ時など、じっと黙っていて、その大きな黒眸がちの眼が、ひとりでに一層大きく張りを持ってきて、赤く充血するとともに、さっと露が潤んでくるのであった。私は、彼女の、その時の眼だけでも命を投げ出して彼女を愛しても厭わないと思ったのである。そのころは年もまだ二十を三つか四つ出たくらいのもので若かったが、商売柄に似ぬ地味な好みから、頭髪の飾りなども金あしの簪に小さい翡翠の玉をつけたものをよく[#挿絵]していた。……

    二

それは、その女を知ってから、もう四年めの夏…

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