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寛永武道鑑
かんえいぶどうかがみ |
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作品ID | 1723 |
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著者 | 直木 三十五 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「直木三十五作品集」 文藝春秋 1989(平成元)年2月15日 |
入力者 | 小林繁雄、門田裕志 |
校正者 | 鈴木厚司 |
公開 / 更新 | 2006-12-02 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 26 ページ(500字/頁で計算) |
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一
桜井半兵衛は、門弟に、稽古をつけながら
(何故、助太刀を、このわしが、しなくてはならぬのか?)
と、その理由を、考えていた。烈しく、突出して来る門弟の槍先を――流石に、修練した神経で、反射的に避けながら、声だけは大きく
「とう」
と、懸けはしたが、何時ものような、鋭さが――門弟が
(病気かしら)
と、疑うまでに、無くなっていた。そして、羽目板の所に立ったり、坐ったりしながら、囁合ったり、汗をふいたりしている門弟をみても
(わしの事を噂しているのではないか)
とか
(わしを、非難しているのでは、有るまいかしら)
とか、考えるようになった。そして、そうした疑を、門弟にさえ持つようになった自分の心の卑しさを
(意気地無しが――)
と、自分で、叱りながら――然し、では、何うしていいのか、それは判らなかった。
(河合又五郎の妹の婿故、助太刀に出なくてはならぬ。何故かなら、縁も無い旗本が、あれだけ援助しているのに縁につながる者が、出ぬ筈は無い――尤もらしい言葉だ。然し――又五郎の殺したのは、数馬の弟の源太夫では無いか? 弟の仇を討つ――そういう法は無い筈だ。もし荒木と、数馬とが、その法を無視して、又五郎を討つなら濫りに、私闘を行った罪として、処分されなくてはならぬし、この明白な事を知りながら、助太刀に出たわしも、処分されなくてはならぬ。そうした場合、主君に対して、何うして、申訳が立つか?)
美濃国、戸田左門氏鉄の、槍術指南役として、二百石を頂いている半兵衛であった。
旗本と、池田との、大争いとなって、池田公が、急死し、又五郎が、江戸を追われたと、世間へ噂の立った時、家中の人々は
「半兵衛が、助太刀に出るだろうか」
「そりゃ、旗本に対しても、出ずばなるまい。他人の旗本でさえ、あれまでにしたものを、助太刀にも出ずして、むざむざ又五郎を討たれては、武士の一分が、立たぬではないか?」
と、云った。だが、氏鉄や、その外の、重臣は
「濫りに出るべき場合ではない」
と、云ったし、家老は、半兵衛を呼んで
「あの事件が、ただの仇討とか、上意討とかなら、助太刀に出ようと、出まいと、何んでも無いが、御老中まで、持て余されて、池田公を、毒殺したとか、せんとかの噂さえ立っている事件だ。幕府が、こうして、すっかり手を焼いているのに――無事に納めようとしているのに、濫りに、助太刀などに出て、事を大きくしては、上に対して、恐れがある。いかなる事が当家へふりかかってくるか判らぬ。よいか、ここの分別が大事故、家中の者が何と申そうと、助太刀などは致さぬよう、とくと、申付けておくぞ」
と、申渡した。だが、半兵衛は、自分に対する、家中の噂を聞くと、稽古の時にまで、考えなくてはならなかった。
二
城中の、広庭の隅に設けてある稽古揚へ行って、重役の人々に、一手二手…