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![]() となんせんせい |
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作品ID | 1741 |
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著者 | 中島 敦 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山月記・李陵他九篇」 岩波文庫、岩波書店 1994(平成6)年7月18日 |
初出 | 「光と風と夢」1942(昭和17)年7月15日 |
入力者 | 川向直樹 |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2005-01-18 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 45 ページ(500字/頁で計算) |
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一
雲海蒼茫 佐渡ノ洲
郎ヲ思ウテ 一日三秋ノ愁
四十九里 風波悪シ
渡ラント欲スレド 妾ガ身自由ナラズ
ははあ、来いとゆたとて行かりょか佐渡へだな、と思った。題を見ると、戯翻竹枝とある。
それは彼の伯父の詩文集であった。伯父は一昨年(昭和五年)の夏死んだ。その遺稿が纏められて、この春、文求堂から上梓されたのである。清末の碩儒で、今は満洲国にいる羅振玉氏がその序文を書いている。その序にいう。
「予往歳滬江(上海のこと)ニ寓居ス。先後十年間、東邦ノ賢豪長者、道ニ滬上ニ出ヅルモノ、縞紵ノ歓ヲ聯ネザルハナシ。一日昧爽、櫛沐ニ方リ、打門ノ声甚ダ急ナルヲ聞キ、楼欄ニ憑ツテ之ヲ観ルニ、客アリ。清[#挿絵]鶴ノ如シ。戸ニ当リテ立ツ。スミヤカニ倒[#挿絵]シテ之ヲ迎フ。既ニシテ門ニ入リ名刺ヲ出ダス。日本男子中島端ト書ス。懐中ノ楮墨ヲ探リテ予ト筆談ス。東亜ノ情勢ヲ指陳シテ、傾刻十余紙ヲ尽ス。予洒然トシテ之ヲ敬ス。行クニノゾンデ、継イデ見ンコトヲ約シ、ソノ館舎ヲ詢ヘバ、豊陽館ナリトイフ。翌日往イテ之ヲ訪ヘバ、則チ已ニ行ケリ矣。…………」
これはまた恐ろしく時代離れのした世界である。が、「日本男子云々」の名刺といい、「打門ノ声甚ダ急」といい、「清[#挿絵]鶴ノ如シ」といい、「翌日訪ねると、もう何処かへ行ってしまっていた」といい、生前の伯父を知っている者には、如何にもその風貌を彷彿させる描写なのだ。三造はこれを読みながら、微笑せずにはいられなかった。彼は、この書物を、大学と高等学校の図書館へ納めに行くように、家人から頼まれていた。けれども、自分の伯父の著書を――それも全然無名の一漢詩客に過ぎなかった伯父の詩文集を、堂々と図書館へ持込むことについて、多分の恥ずかしさを覚えないわけに行かなかった。三造は躊躇を重ねて、容易に持って行かなかった。そして、毎日机の上でひろげては繰返して眺めていた。読んで行く中に、狷介にして善く罵り、人をゆるすことを知らなかった伯父の姿が鮮やかに浮かんで来るのである。羅振玉氏の序文にはまたいう。
「聞ク、君潔癖アリ。終身婦人ヲ近ヅケズ。遺命ニ、吾レ死スルノ後、速ヤカニ火化ヲ行ヒ骨灰ヲ太平洋ニ散ゼヨ。マサニ鬼雄トナツテ、異日兵ヲ以テ吾ガ国ニ臨ムモノアラバ、神風トナツテ之ヲ禦グベシト。家人謹シンデ、ソノ言ニ遵フ。…………」
これは凡て事実であった。伯父の骨は、親戚の一人が汽船の上から、遺命通り、熊野灘に投じたのである。伯父は、そうして鯱か何かになってアメリカの軍艦を喰べてしまうつもりであったのである。
他人に在っては気障や滑稽に見えるこのような事が、(このような遺言や、その他、数々の奇行奇言などが)あとで考えて見れば滑稽ではあっても、伯父と面接している場合には、極めて似付かわしくさえ見えるような、そのような老人で伯父はあった。それでも、高等…