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犬の生活
いぬのせいかつ
作品ID1783
著者小山 清
文字遣い新字新仮名
底本 「落穂拾い・犬の生活」 ちくま文庫、筑摩書房
2013(平成25)年3月10日
初出「新潮 第五十二巻第二号」新潮社、1955(昭和30)年2月1日
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2018-10-04 / 2018-09-28
長さの目安約 33 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私はその犬を飼うことにした。「神様が私にあなたのもとへゆけと告げたのです。あなたに見放されたら、私は途方に暮れてしまいます。」とその眼が訴えているように思われたので。またその眼はこうも云っているように思われた。「あなたはいつぞや石をぶつける子供達から、私を助けて下さったではないですか。」私には覚えのないことだが、しかし全然あり得ないことではない。
 公園のベンチの上で午睡の夢からさめたら、私の顔のさきにその犬の顔があった。私が顔を覆うていた本はベンチの下に落ちていた。あるいは犬がその鼻づらで本をこづいて、その気配に私は眼をさましたのかも知れない。私が掌を出すと、犬はその前肢をあずけた。私が帰りかけると、後を慕ってきたのである。
 私はその犬を飼おうと思ったが、けれども、自分は軽はずみなことをしているのではないかという気もした。けれどもまた考えてみるに、私の過去は軽はずみの連続のようなもので、もはやそのことでは私は自分自身を深く咎めだてする気にもなれないのである。私はやはりいつもの伝でやることにした。私は犬の顔を眺めながら、「私さえ保護者らしい気持を失わないならば、お互いがお互いを重荷に感ずるようなことはまずないだろう。」と思った。自信のあるような、ないような気持であった。私はこれまで男の友達とは幾度か一緒に暮らしたことがあるが、いつも気まずい羽目になってしまったのである。
 私はこの武蔵野市に移ってきてから、三年ほどになる。私はある家の離れを借りて暮らしている。母屋の主人というのは年寄の後家さんである。気丈な人で、独りで自炊をして暮らしている。ひとり娘が嫁いだ先には大きい孫があって、たまに孫たちが遊びにくる。
 私は散歩の途中、偶然この家の前を通りかかって、軒さきに「貸間あり」の札がさがっているのを見かけ、檜葉の生垣にかこわれているこの家のたたずまいになんとなく気を惹かれたのである。私は案外簡単に借りることが出来た。ひとつは私が勤人でなく、一日中家にいる商売なので、用心がいいと思ったのかも知れない。この離れには、私の前には、この近くの美術学校に通っていた画学生がいたそうである。
 私が借りている離れには土間がある。犬を飼おうと思ったとき、その土間のことが私の念頭に浮かんだ。犬は土間に這入ると、喉が乾いていたのだろう、そこにあったバケツの中の水をぴしゃぴしゃ音をさせてさもうまそうに呑んだ。私が上框に腰を下ろして口笛を鳴らすと、犬は私の足許に寄ってきて、いかにも満足そうに「ワンワン。」と二声吠えた。その様子は、「私達はもう他人じゃありませんね。」と云っているように見えた。そのときになって私は、犬を飼うには、私の一存だけではすまないことに気がついた。母屋の年寄の思惑が気になったのである。
 私は犬をつれて、お婆さんのいる座敷の縁さきへ行った。お婆さんは長火鉢のわ…

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