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![]() くちぶえをふくぶし |
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作品ID | 1810 |
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著者 | 林 不忘 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「一人三人全集Ⅱ時代小説丹下左膳」 河出書房新社 1970(昭和45)年4月15日 |
初出 | 「サンデー毎日」1932(昭和7)年3月 |
入力者 | 奥村正明 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2002-12-22 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 22 ページ(500字/頁で計算) |
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無双連子
一
「ちょっと密談――こっちへ寄ってくれ。」
上野介護衛のために、この吉良の邸へ派遣されて来ている縁辺上杉家の付家老、小林平八郎だ。
呼びにやった同じく上杉家付人、目付役、清水一角が、ぬっとはいってくるのを見上げて、書きものをしていた経机を、膝から抜くようにして、わきへ置いた。
「相当冷えるのう、きょうは。」
「は。何といっても、師走ですからな、もう。」
小林が、手をかざしていた火桶を押しやると、一角は、それを奪うように、抱きこんですわった。
「用というのは、どういう――。」
上杉家から多勢来ている付け人のなかで、この二人は、よく気が合っていた。身分の高下を無視して、こんな、ともだちみたいな口をきいた。
朱引きそとの、本所松阪町にある吉良邸の一室だった。
小林は、しばらく黙っていたが、
「念には、念を――。」
と、いうと、起ち上って、縁の障子や、隣室のさかいの襖を、左右ともからりと開けはなして、うふふと苦笑しながら座にかえった。
庭から、さらっとしたうす陽が、さし込んだ。
一角が、
「だいぶ物ものしいですな。」
重要なことをいう時の、この人の癖で、小林は、にこにこして、
「この、裏門のまえに、雑貨商があるな。御存じかな?」と、覗くように一角の顔を見て、はじめていた。「米屋五兵衛とかいう――あれは、前原といって、赤穂の浪士だと密告して来たものがあるが。」
一角は、笑った。
「またですか。私はまた、この本所の万屋で小豆屋善兵衛というやつ、それがじつは、赤浪の化けたのだと聞かされたことがあります。たしか、かんざし四五郎とか、五五郎とか――しかし、埓もない。そうどこにも、ここにも、赤浪が潜んでおってたまるものですか。そんなことをいえば、出入りの商人や御用聞きも、片っ端から赤浪だろうし、第一、そういうあなたこそ、赤穂浪士の錚々たるものかも知れませんな、あっはっはっは、いや、風声鶴唳、風声鶴唳――。」
小林は、手文庫から、元赤穂藩の名鑑を取り出して、畳のうえにひろげて見ていたが、つと一個処を指さして、
「ほら、ここにある。前原伊助宗房、中小姓、兼金奉行、十石三人扶持――。」
二
一角は、貧乏ゆすりのように、細かく肩を揺すって、口のなかで呟いていた。
「清水一角、とはこれ、世を忍ぶ仮りの名。何を隠そう、じつを申せば浅野内匠頭長矩家来――などということに、そのうちおいおいなりそうですな、この分ですと。はっはっは。」
が、かれは、小林の真剣な表情に気がつくと、名鑑のうえに眼を落として、
「ふうむ。で、この前原というのが、あのうら門まえの米屋だという確証は、挙がっているのですな。それなら、今夜にでも、ぶった斬ってしまいますが。」
「まあ、待て。こっちのほうは、いま星野に命じて探りを入れさせている。」
「…