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日高十勝の記憶
ひだかとかちのきおく
作品ID18328
著者岩野 泡鳴
文字遣い旧字旧仮名
底本 「現代紀行文学全集 北日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
入力者林幸雄
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-09-10 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    オホナイの瀧

 日高の海岸、樣似を進んで冬島を過ぎ、字山中のオホナイといふあたりに來ると、高い露骨な岩山が切迫してゐて、僅かに殘つた海岸よりほかに道がない。おほ岩を穿つたトンネルが多く、荷車、荷馬車などはとても通れない。人は僅かに岩と浪との間を行くのであつて、まごついてゐると、寄せ來る浪の爲めに乗馬の腹までも潮に濡れてしまふのだ。
 或高い岩鼻をまはる時など、仰ぎ見ると、西日に當つて七色を映ずる虹の錦の樣なおほ瀧だ。その裾を、瀧に打たれながら、驅け拔けなければならなかつた。その次ぎのおほ瀧は高さ五十尺、幅七八尺、俗に白瀧といふ。そのもとに、ぽつねんと立つてゐる南部人の一軒家がある。夫婦子供四人の家族だ。板や雜草で組み立てた、して屋根には石ころをつみ重ねた家だ。
 近年殆ど漁がなく、毎年、昆布百四五十圓から二百圓、フノリ並にギンナン草二三十圓、ナマコ三四十圓ぐらゐの收入を以つて、僅かにその生活を維持してゐる。十月初旬から雪がやつて來るが、それにとぢ籠められては、山へのぼつて、焚き木でも切るより仕かたがなくなるさうだ。
 さう聽いて、頭上を仰ぐと、その山は直立した崖で、殆ど道もついてゐない。山に迫られ、冬と雪とに迫られるこの家族の寂しみを思ひやつても、ぞつとする。
 そのあたりの潮が吹きかかる岩の間から、澤山のみそばへ並に岩れんげが生えてゐるのを二三株摘み取り、僕はそれを瀧と一軒家と自分の馬に瀧の水を飮ましたとのなつかしい記念にした。

    猿留の難道

 太平洋に突出する北海道の東南端、襟裳岬のもとを南海岸から東海岸に出るには、本道三難道の一なる猿留山道を踏まなければならない。
 追ひ分坂を歌別から庶野に越え、殺々高くのぼつて行くのだが、この邊はよくおやぢ(乃ち・熊)の出沒するところだ。然し生き物のにほひがするのは僕等と馬子の愛奴のセカチ(男兒)と、それらが乗る馬と、ついて來た小馬としかなかつた。
 如何にも寂しいからでもあらう、氣がせかれ、自然に馬をぼつ立てるので、馬子のセカチは僕等に注意して、さう馬の尻を打つなと云ふ。早くつかれさしては、いよ/\難道にさしかかれば、倒れてしまう恐れがあるからであつた。
 難道は降りだ。俗に七曲りと云ふのは、その實、十三曲りも十四曲りもあつて、それがおの/\十間または二十間づつに曲り、何百丈の谷底に落ちて行くのだ。馬上から見あげ、見おろすと、ぞつとして、目も暗んでしまう。親の乳を追うて僕等の馬について來た小馬(三ヶ月)は、或る曲り角で石ころに乗つて倒れ、すんでのことで谷底へころげ込むところであつた。
 そんなにしてまでも、ポニイと云ふものは、てく/\と、どこまでも、親馬について來るのだ。日高を旅行すると、大抵の乗馬には、女馬なら、小馬が必らずついて來る。當歳から三歳まではさうだ。それがなか/\面白いもので、どこ…

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