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藤村詩抄
とうそんししょう
作品ID18352
副題島崎藤村自選
しまざきとうそんじせん
著者島崎 藤村
文字遣い旧字旧仮名
底本 「藤村詩抄」 岩波文庫、岩波書店
1927(昭和2)年7月10日
入力者土屋隆
校正者浅原庸子
公開 / 更新2004-05-20 / 2016-05-07
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




   自序

若菜集、一葉舟、夏草、落梅集の四卷
をまとめて合本の詩集をつくりし時に

 遂に、新しき詩歌の時は來りぬ。
 そはうつくしき曙のごとくなりき。あるものは古の預言者の如く叫び、あるものは西の詩人のごとくに呼ばゝり、いづれも明光と新聲と空想とに醉へるがごとくなりき。
 うらわかき想像は長き眠りより覺めて、民俗の言葉を飾れり。
 傳説はふたゝびよみがへりぬ。自然はふたゝび新しき色を帶びぬ。
 明光はまのあたりなる生と死とを照せり、過去の壯大と衰頽とを照せり。
 新しきうたびとの群の多くは、たゞ穆實なる青年なりき。その藝術は幼稚なりき、不完全なりき、されどまた僞りも飾りもなかりき。青春のいのちはかれらの口脣にあふれ、感激の涙はかれらの頬をつたひしなり。こゝろみに思へ、清新横溢なる思潮は幾多の青年をして殆ど寢食を忘れしめたるを。また思へ、近代の悲哀と煩悶とは幾多の青年をして狂せしめたるを。われも拙き身を忘れて、この新しきうたびとの聲に和しぬ。
 詩歌は靜かなるところにて思ひ起したる感動なりとかや。げにわが歌ぞおぞき苦鬪の告白なる。
 なげきと、わづらひとは、わが歌に殘りぬ。思へば、言ふぞよき。ためらはずして言ふぞよき。いさゝかなる活動に勵まされてわれも身と心とを救ひしなり。
 誰か舊き生涯に安んぜむとするものぞ。おのがじゝ新しきを開かんと思へるぞ、若き人々のつとめなる。生命は力なり。力は聲なり。聲は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり。
 われもこの新しきに入らんことを願ひて、多くの寂しく暗き月日を過しぬ。
 藝術はわが願ひなり。されどわれは藝術を輕く見たりき。むしろわれは藝術を第二の人生と見たりき。また第二の自然とも見たりき。
 あゝ詩歌はわれにとりて自ら責むるの鞭にてありき。わが若き胸は溢れて、花も香もなき根無草四つの卷とはなれり。われは今、青春の記念として、かゝるおもひでの歌ぐさかきあつめ、友とする人々のまへに捧げむとはするなり。

明治卅七年の夏
藤村

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